「槇さん?」
 おぼつかない足取りで現れたのは紛れもなく槇だった。くたびれたスーツも鋭い瞳もいつものものだが、どこかが違う。
 根の真下に立ちながらも彼にはその光景が見えていないようで、ついでに嵐と少年の姿も見えていないようだった。
「……なんだここ。あまり妙な事は得意じゃねえんだぞ……」
 ぼやきながら根の真下を歩き回る。その間も首を巡らせて周囲を探ってはいるが、やはり彼の目にこの光景が映ることは無いようだった。
「獣の匂いがする」
 嵐の後ろに庇われた少年が呟く。獣、と口の中で呟いてみて田野倉のことが思い浮かんだ。
「田野倉も桜に協力してるってことだな」
 確認の意も込めて問うと、少年はこくりと頷いた。
「奴らが来て、妄執も強くなった。多分、あの男も奴らに捕まったんだ」
 良くないものに好かれるタチだとは常々思っていたが、ここまで来るとそうのんびりと構えてもいられない。案の定、するすると細い根が手を伸ばしてきているのが見え、背筋が粟立つのを感じた。
「俺にはどうこうする力も何もないんだが……」
 考えを必死に巡らせる。どうこうする力はなくとも、目の前で搾取の対象とされている先輩を見捨てるほど薄情なつもりもない。
 自分に力はない。
──ならば、力ある者に任せればいいこと。
「……天狗……」
 思い出したように呟く。ここ最近、嵐の周囲にまとわりつく桜の気配を敏感に感じ取って姿をくらましていたが、彼の力は慎との一件の時に証明済みである。
 餌場の呼びかけに応えるかどうかは怪しいものだが。
「……もし聞こえているなら、出てこい」
 誰もいない風景に向かって叫ぶほど恥ずかしいことはない。嵐はそこそこ大きな声で言った。
「お前にやってもらいたいことがある」
 少年が心配そうに嵐を見上げた。反応のない風景からは沈黙が返ってくるのみである。
 いよいよしびれを切らした嵐は、虎の子を出す決意を固めて嘆息した。
「……やってくれたら墓場にでも化け物屋敷にでもどこにでも行ってやるよ」
「やあ、やっと話がわかる人間になってきたね」
 途端に快活な声がしたと思いきや、頭上から一羽の鴉が羽ばたいてきて、嵐の頭の上に止まった。そして面白そうに一鳴きすると、頭から払おうとする嵐の手を避けて肩に移る。
「……鴉?」
 不安そうに呟く嵐へ、鴉はあてつけるかのように鳴いてみせた。

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