それは直接的に生命へ影響するであろう対象への恐怖だった。
 怯えた目で見上げる武文の頭を叩き、嵐は後ろに下がらせる。
「後ろ行ってろ。どうせ入ってこれないから」
 やけに自信に満ちた言葉は誰に向けられたものだろうか。淡々として言う嵐にこれ以上返す言葉はなく、武文が悄然として離れたのを確認して障子が静かに開けられると同時に、凄まじい勢いで何かが嵐に飛び掛かった。
 動こうとしない嵐に、明良や武文が慌てて嵐を引き離そうと駆け寄りかけるが、尋常ではない速さに二人の行動がついていくことは出来なかった。そのまま、その「何か」が嵐の体に激突するかと思った瞬間、「ぎゃん」という高い調子の悲鳴が聞こえ、縁側にどさりと落ちる。
「……は?」
 駆け寄りかけた格好のまま二人は立ち止まり、嵐の足元で蹲る影と嵐とを見比べる。
 当の本人は飄々とした表情で煙草を吸い続け、明良の視線に答えることはしない。どうしたものかと明良は武文と顔を見合わせて小さく呟く。
「……何こいつ」
「無礼な口の利き方をするでない!」
 突然、跳ね上がるようにして影が起き、猛然と抗議する。それまでただ蹲っていた影が動くとは思わず、まさかそれが幼い少女とも思わず、ましてやそんな少女が達者な舌回りでつっかかるとも思わなかった明良は呆気に取られてその姿を見た。
 年は十二、三歳頃だろうか。腰の辺りで一つに束ねられた長い黒髪は転んだ拍子に乱れ、僅かに紅潮した白い頬にかかっている。意志の強そうな眉の下からは切れ長の目が明良を睨みつけており、巫女装束の神聖さからはかけ離れているように見えた。
 そして何といっても目を引いたのが、彼女の後ろに垂れ下がる金色の尻尾である。それも一つではなく、二股に分かれた尻尾はいくら疎い明良でもその正体を察することが出来た。
「……狐って人間に化けるの」
 少女を指差して嵐に向けられた質問はどうにも間抜けに聞こえる。しかもそれが少女の逆鱗に触れたようで、高い声を張り上げて全身で抗議した。
「妖狐に向かって何たる口の利きよう! 分をわきまえんか!」
「お前がな」
 それまで静観を決め込んでいた嵐が口を開き、煙草の煙を吐く。途端に少女は顔をしかめて後ずさりした。
「卑怯な……! 情は無いのか貴様!」
「お前こそ、人んちの障子吹っ飛ばしておいて情はどこいった」
 少女は地団駄を踏みそうな勢いで嵐を睨みつける。だが、先刻のような勢いは見えない。どうやら煙草の煙が苦手らしい。

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