「風が吹いた日」
──いるな。
足先を台所へ向けてその正体を見極める。冷蔵庫横の歪んだ空間が段々と定まり、形を成していった。大きな目玉に突き出した腹、禿げあがった頭を目にして嘆息を禁じえない。成る程、特に何もない、と言った橘の言に頷ける。
不安そうな二人に顔を向けて言った。
「いましたよ」
え、と橘が驚いたふうに声をもらす。何故か意外な感じがした。何かいる、と感覚ではわかっていても信じきれてはいなかったのだろうか。
「……幽霊?」
いえ、と緊張していた肩の力を抜いた。
「特に害のないものです。今まで何もなかったんですよね」
「はい」
「なら多分、これでしょう。気にするほどのものでもないですが、どうしますか」
「……そりゃいなくなってくれた方が嬉しいわ」
「わかりました」
目玉をひんむいて嵐を見つめる二匹の雑鬼の前に跪く。その顔に恐れはなく──と言っても彼等において表情のあるものの方が珍しいのだが──深緑の体を寄せ合って小さく収まる二匹の頭に触れる。すると瞬時にして姿が掻き消え、同時に嵐の背中に微かな重みがおりた。やや眉をひそめながら立ち上がり、橘を振り返る。
「私の方に移ったので、もう大丈夫だと思います」
橘はその言葉に胸のつかえが取れたような息をもらす。
「……ただ、部屋全部から何かいるような感じがするというので、これで完全に大丈夫だとは保証出来ません」
苦い顔の嵐から次いで紡がれた言葉に一瞬緊張した顔を見せるが、やがて柔らかく苦笑した。
「仕方ないわね。買っちゃったんだし」
「よろしければ別の物件を紹介させて頂くよう、不動産会社に取り計らいますが」
澤地の申し出に橘はきょとんとした風に目を瞬かせる。
「出来るの?」
「今回のような件は調査不充分である私どもの責任ですから。本来ならばこのような……いわくつきの場所には、お祓いを行なってから建築計画を立てますので」
「いわくつきね」
澤地に向かってくすりと笑う。その笑みがどこか酷薄に見えたのは気のせいだろうか。
だが、澤地はそれには気付かなかったようで、単語を繰り返した橘に苦笑を返すしかない。
「元お墓の上に自殺者まで出た部屋、なんて私も不動産屋さんから初めて聞いたしね。苦情出してからそういうこと言うんだもの。建築屋さんが知らなくて当然だと思うわ」
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