「風が吹いた日」



 部屋の主は合点がいったように相槌を打つと待機の旨を伝え、インターホンを切る。ぷつりと接続が切れると辺りには異様な静寂が訪れた。昼間だから仕方ないことなのだろう。しかし耳が痛くなるほどの静寂は同時に不安もかきたてる。せめて鳥の声ぐらいと思った時、唐突にドアが開いた。

 待て、と言われたのだから、遅かれ早かれドアが開くのは当然である。だが、嵐の心臓は文字通り飛び上がった。

 意外と大きいドアの音に驚いたのもある。そこから顔を覗かせるショートカットの女の若さに驚いたのもある。

 しかし、一番に心臓に働き掛けたのはその空気だった。

 澤地と言葉をかわす橘に悟られぬよう、密かに眉をひそめる。

 何だろう。穏やかなものでもなく、だからといって緊迫した空気でもない。ただ諾諾とそこに漂うだけの空気はどうとも形容しがたい。近代的なマンションの一室には似付かわしくなく──だが一方で、橘にはとてもよく似合う空気ではあった。

 主張もせず拒絶もせず、ただそこにあるだけのもの。

 知らぬ間に橘を凝視していた嵐に気付いた澤地がその腹を軽く肘で小突き、嵐を思案の淵から引き戻す。そうだ仕事中なんだ。

 橘に招かれるまま部屋にあがるとあの妙な空気は一段と増した。それは部屋の内装によるところが大きいのだと、嵐は一つ納得する。

 広すぎるリビングには床に置かれた電話とテーブル、その上にあるノートパソコン、それで全部だった。唯一色彩を持つ小さなサボテンだけが生気を放ち、無機質な部屋にようやくの生活感を与える。

 横目で薄く襖の開いた隣室を見ても同じことで、むしろリビングより物が少なく思えた。カーテンを閉じているのか薄暗く、来訪者を飲み込む穴が開いているように見える。

「不動産屋さんは?」

 思いのほか、はつらつとした声に嵐共々澤地までが驚いていた。おそらく澤地も嵐と同じ印象を持ったのだろう。

「今回のことはこちらの不手際ですので、こちらで対応させて頂きます」

「ふうん」

 パーカーと七部丈のパンツに身を包んだ橘は、どうにも年齢のつかめない人物であった。嵐と同年と言われれば成る程と思うし、年上とも年下とも言われても納得してしまう自分が容易に想像出来る。

「それでご依頼の件ですが」

「ああ……はい。……幽霊って言っても信じないでしょ」


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