手記



 まずは、存外に外からの接触が多かったことだ。勧誘や宅急便など、あからさまな居留守を使うのには苦労した。特に例のお隣さんが来訪した時には何があったのか聞きたい欲求を堪えて、沈黙を決めた。ただ、この来訪自体も「通常」を離れたものであったのかもしれないと思う。十一日間の内、お隣さんの来訪は七日あった。
 食事について、これは大いに自分の選択を呪いたくなった。自炊する習慣がほとんどない為に、買い込んだ物が即席麺やレトルトの類だったのである。米はもともとあったから炊けばいいが、栄養が多分に偏った食生活になった。後半ともなると野菜や果物が恋しくなり、テレビでそんなものが出てくるたびに、巣篭りが開けたら真っ先に買いに行こうと決めた。
 あとは、様々な音に怯える毎日ではあった。水の音はもちろん、風が窓を揺らす音、どこかで聞こえる洗濯機の音、鳥がベランダに降りた時の音など、主に外から聞こえる音に怯えていた。それが次にどんな行動を起こすのか、いつもなら素通りしていた風景が全く別のものに見えてしまうからである。それらは大体が考えすぎで終わるのだが、中には考えすぎで終わらないものも多々あり、否が応にも耳は聡くなっていった。
 そして何よりも、誰とも話せないというのが一番、堪えた。前述したような「異常」が起きた場合、誰とも話せない状況下ではただ一人で耐えるしかない。恐怖や疑心を誰かに聞いてもらうことで安堵する、という作業を行えないことの辛さを私はこの十一日間で理解した。お陰で眠れない日も多く──それは「異常」に由来するものもあるのだが、体力は決して万全とは言えなかった。
 『あれ』がここに入ろうとしているのは、何となくわかった。お隣さんの来訪もそれに由来するものであるし、大体が日暮れの瞬間ではあるが、外に面した窓や扉が小さく叩かれるのである。人がノックしているような音で、生活音に紛れてしまえば聞こえないこともある。だが、それは執拗に存在を主張し続けるのだ。私が気づくまで音は続き、私が気づいてからもしばらく続く。そして日が完全に暮れると音は止む。
 日程の半分を消化した頃になると、今度は人の声を使うようになった。ただし、これに関してはどれが本物で、どれが偽物なのかは私には判断出来なかった。伯父の言いつけ通り知らぬ存ぜぬを決め込んでいたのだが、九日目にそれは起きた。夕飯のカレーを食べている時、玄関のチャイムが鳴ったのである。無論、私は慣習と化した無視を徹底し、食事を続けた。テレビの音も上げ、努めて聞こえないようにしたのである。だが、テレビの歓声の合間に聞こえる声が、どうにも神経にひっかかった。大家さんでもお隣さんでもない、この微妙なひっかかりは何だろう、と思わずテレビの音量を下げると、扉の向こうから聞こえたのは何と母の声だったのである。
「開けて」
「お寺さんにも相談したんだけどね」
「そしたらお坊さんが何とかするって、今ここに来てるのよ」
「だから開けて」
 そんな内容を、言葉を変えながらずっと繰り返していただろうか。
 私の心は無論、ぐらついた。住職が来ているという話は安心感を与え、母が直接赴くだけの理由にもなる。もし、初日にこれが来ていたら私は何も疑わずに飛びついただろう。
 だが、ここに至るまで、様々にして私を部屋から引きずり出そうとする意志を目の当たりにした為に、私の警戒心が働いた──そう言えれば恰好もつくのだが、実際そんな気持ちは一割ほどである。残り九割は疲労だった。

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