手記



 私は頭の中で、伯父の言ったことを何度も繰り返していた。記憶力は並程度だが、このぐらいの量であれば難しくはない。だが、私の置かれている状況が、いつもの記憶力を減衰させていることは否めなかった。「絶対に忘れてはいけない」という、強迫観念に襲われていた部分があり、そらで言えるようになってもまだ不安が拭えなかった。
「いいね、十一日だ」
 伯父は静かに繰り返した。私は喉が渇いてはりついたようになり、唾を飲み込んだ。
「その間は誰も助けてやれない。心細いだろうが、とにかく辛抱しなさい。十二日目になったら私と住職が迎えに行くから、それまでは絶対に外に出るんじゃないぞ。いいね」
 私は「わかった」と頷くしかなく、家族は心配そうな顔で私を見つめることしか出来なかった。



 来た時と同じく、私は実家前からタクシーで帰ることにした。そしてタクシーの中ですぐに職場へ連絡した。嘘と日頃の勤勉さをこねくり合わせ、電話の向こうにいる上司の不審と不満を惜しみなく飲み込みつつ、私は残っていた有休の大部分を使って七日の休みをもぎとった。年末年始の休みが始まろうとしていたのは幸いで、それと合わせれば十三日の大連休になる。十一日の巣篭りに、伯父たちが来るので一日、予備で一日である。
 途中、スーパーに寄ってもらって大量の食料品を買い込み、自宅までタクシーに送り届けてもらう。平時であれば随分、豪勢な話だが、私の心にそんなことを楽しむ余裕はなかった。
 アパートの前で降りた後は、一目散に部屋へ駆け込んだ。逃げるように、追いつかれないように、と動かした足はやけに遅く感じ、ドアの鍵を開ける時にもやたらと手がもたついた。そうしてドアを開けて素早く入り込み、鍵をかけた所で私は安堵するのと同時に、孤独で静かな戦いが始まるのを感じたのだった。
 あの時の部屋の匂いほど、安心したものはなかったと思う。暗い部屋で電気をつけた時、ポットのお湯を沸かした時、テレビをつけた時、カップラーメンの匂いが漂った時、と日常生活に戻るための手順を一つずつクリアするごとに、家が自分の防壁になるのだという実感がわいた。
 何が起きるかわからない。何の助けも期待してはいけない。伯父に教えられた様々なことを守るには、細心の注意を払わなければならない。私は一人で堪えなければならない。
 並程度の記憶力に不安を覚えて、卓上にあるメモを一瞬、手にとりかけたがやめた。伯父も母も、「聞かれる」ことを非常に警戒していた。その割にはあの時色々と話してはくれたから、実際には「聞かれる」ことというより「気づかれる」ことを警戒していたのだろう。それだけ、向こうのアンテナは広いのだから、下手に動くことはやめておこうと決めた。
 パソコンは電源を落とし、携帯も電源を切った。テレビだけはつけておいても大丈夫だろうと、十一日間のお供にする。本や暇つぶしになるようなものを買ってこなかったことが悔やまれたが、遊ぶことが目的ではないのだから、と気を引き締めた。
 これが十一日間の始まりの日であった。無事に済めばと思ったが、案の定そうはいかなかったことをここに記しておく。

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