嘘吐き姫は空を仰ぐ



 ふと、「逃げ込む」という表現を自然と使っていたダスクは、その言葉と先刻のルセイアが繋がらない事に気づいた。あるいは、違和を覚えるとでも言うべきか。今の彼女は逃げたりしない──直感でそう思ったダスクの脳裏に、城のある一画が思い浮かぶ。
 そこだ、と思った途端、ダスクの足は既に動いていた。お茶をこぼさないよう、バスケットを抱えて走れる最大限の速さで廊下を駆け抜ける。
 ルセイアはもう逃げ込まない。彼女は覚悟を決めていた。覚悟を決めた人間が行く場所をダスクはよく知っている。
 かつては彼も使っていた場所で、幼いルセイアに見つけられた事もある場所だった。



 畑と城を繋ぐ小道は農具小屋で分かれ、片方は畑へと、片方は小屋の裏手を通って城の裏側へと続く。城が沈む前はその先にささやかな木立があり、東屋があった。だが、それだけであり、城の人間のほとんどからは忘れられ、庭師がついでとばかりにするだけの手入れしかなされず、うら寂しい印象を与える裏庭だった。先々代、つまりルセイアの曾祖父の代に造られたものだが、利用する者はほとんどいなかったという。何のために、誰のために造られたのかは曖昧で、しかし、曖昧にする必要のある庭だったという事は、ダスクが大きくなってから聞かされた。
 お前はよく使うようだからと父親が教えてくれたのは、ルセイアの曾祖父は好色家だったという事だった。そしてそれだけで大抵の事は説明がついてしまい、ダスクは納得したものである。自分はそうはなるまいとも誓った。それでは堅苦しすぎる、と父親が苦笑していた事が記憶に新しい。
 ここ数年は使う頻度も減っていた。最後に使ったのは三人だけの生活が始まって二年後だっただろうか。それを最後に立ち寄る事もなくなり、手入れをしていると豪語していたダスクも、この裏庭だけはその手が伸びなくなっていた。必要がないと判断したからだろうか、だとしたら随分と自分は薄情な男だと、久方ぶりの道を辿りながらダスクは自らを軽蔑した。
 小道は途中から舗装がされていない。記憶にあるのと同じ風景を歩いていたダスクだったが、ふと、そこに変化が訪れている事に気づいた。かつてはむき出しの土が来訪者を迎えていたのだが、今はそこにうっすらと芝生が繁茂している。それも伸び放題ではなく、きちんと切りそろえられたものが行儀よく、傾き始めた太陽の影で風に揺れていた。
 新鮮な驚きと共に歩を進めていくと、やはり誰かの手入れがされた形跡がある。それも現状維持を目的としたものではなく、より良くしようという意志が見て取れた。藪を取り払い、花を植え、日陰を作りそうな枝を剪定し、雑草も丁寧に取る。記憶にあった裏庭が、寂れた衣を脱ぎ捨てたかのようだった。
 あちこちを見回しながら城の裏側にさしかかると、断崖と城の間の小さな空間一杯に、白い東屋が鎮座していた。ささやかだった木立は城が沈むにつれて消え、数本の木々を残して東屋を囲むに留まる。削られた土地が多い中で、この東屋が無事に残っていたことは奇跡的でもあった。ただし、非常に手狭な印象を与え、ぎりぎりの所で残っているその姿にダスクは思わず苦笑をもらした。

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