嘘吐き姫は空を仰ぐ



 ダスクはバスケットを下げて扉の前に立ちつくしていた。その中にはお茶の入った水筒と、焼き菓子が入っている。もう昼食という時間でもないからと、ルセイアの腹具合を考えてナーサが作った物だった。
 ノックしようと上げた手が、その形のまま固まっている。手首を軽く動かすだけの簡単な動作が出来ない。ノックしたところで何を言えばいいのか、ダスクはルセイアの命令を思い出していた。人との会話の仕方を覚えろという──その相手を、他人で考える事は出来なかった。
 そう思うと、自然に手が動いて扉を叩く。控え目な音が響き渡った。常ならば、賑やかな城主の声があちこちで聞こえるからこそ、忘れがちな事実であった。この城は三人で住むには広すぎるのである。
 返事がないので二度、三度とノックを繰り返す。廊下にその余韻が吸い込まれぬ内に、ダスクはノックを繰り返した。静寂が襲い掛かるのが恐ろしかったのかもしれなかった。
 そしていつしかノックの音は止み、ダスクは自らの声を使って扉の向こうに呼び掛ける事にした。この閉ざされた扉の向こうに、彼の主がいるのは間違いない。何かあった時、ルセイアが最終的に逃げ込むのがこの部屋であるのは誰もが知っている。
 国王夫妻の寝室の扉は、頑なにダスクを拒んでいた。
「姫様」
 声を発する事で余計に静寂が際立つように感じられる。かつてはダスクも父親と共に、親しみを以てくぐった扉だった。
 後に主を失い、人々が去り、ダスクもルセイアを追いかけた時以外では近寄らなくなっていた。扉の向こうに声をかける度、動じないようにと鍛えてきた心が揺さぶられるのがわかる。
 再度呼びかけ、ダスクは無礼と思いながらも扉の取っ手に手をかけた。すると、予想に反して軽やかな動きで押し開かれる。
 微かな期待と恐怖に鼓動を速くさせながら、何年ぶりかに足を踏み入れた国王夫妻の寝室は薄暗く、しかし、まるで今しがた誰かが使っていたかのような空気の動きがあった。ナーサが常に掃除をし、空気を入れ替えているとは聞いていたが、その効果だけではないものがある。
「……姫様?」
 呼びかける声が震えた。だが、その声に応えるものはなく、言葉は眠る調度品に吸い込まれて消えていく。いないのかもしれない、と思いつつ見分する足は自然と速くなり、この部屋が無人である事を知るのに時間はかからなかった。途端、駆け足だった鼓動が緊張から解放されるように脈打ち始め、ダスクはほう、と息をつく。そんな自分に嫌気を覚えながらも、ダスクはこれまでの「お約束」が通じない状況に驚いていた。
 ルセイアが逃げ込むとしたら、ここしか考えられなかった。それ以外に彼女が逃げ込める場所など想像もつかない。城の地図を網羅しているダスクが、脳内でどれだけ探し回っても、彼女が逃げ込みそうな所はここぐらいしか思いつかなかった。

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