嘘吐き姫は空を仰ぐ



「貴方一人の体ではないんですよ。医者を呼ぶのにも手間がかかる場所なのは、よくわかっているでしょう」
 ルセイアは長い髪にたっぷり含んだ雨水を搾り取りながら、反論する。
「だから大丈夫って言ってるのに」
「何がです」
 言いながら、ダスクは自分の上着を脱いでルセイアの頭から被せた。
「……汗臭い」
「その恰好でナーサさんの前へ行く勇気があるならご自由に」
「それは……無理かな……」
 はは、と笑いながらルセイアは全身を拭いた。多少なりとも水気を拭き取れば、自分から雨の下に躍り出たとは思われまい。もっとも、勘のいいナーサの事である。そんな予防線をはったところで五分五分の確率ではあるのだが、やらないよりは良い上に、やはり濡れたままというのはルセイアの体にもダスクの視界にも不健康であった。ダスクとて健康な男子である。いくら自分勝手で、幼馴染という立場も迷惑と思う主君でも、目のやり場に困るというものだった。
 当座の不安を取り除いたところでダスクが息をつくと、ルセイアが再び空を仰いだ。それが先刻の様子と重なり、なりを潜めた不安が再び芽吹きそうになったが、ルセイアは笑ってダスクを振り返った。
「雨があがるね」
 言われて軒下から顔を出す。礫のような雨は相変わらずだが、波打つ雲間に薄い部分が生まれ、少し向こうへ視線を転ずれば青空が見える。そうこうしている内に雨も断続的になり、地面を穿つ音が徐々に少なくなっていった。
 ダスクは肩の力を抜き、主君を見下ろした。
「そういえばナーサさんに言われて来たんですよ。お昼です」
「……それを早く言ってよ。そしたら走ってでも戻ったのに」
「……何故俺が悪いように言われなければいけないんです」
「ダスクは駄目ねえ。外へ出られたら、まず人との会話の仕方を覚えなさい。これ命令ね」
 雨があがるのを認め、ルセイアは軒下から出て城へと戻り始めた。その後を駆け足で追いかけ、隣を歩きながらダスクは抗議する。
「いつになるのかわからない話より、貴方の自活能力を上げるという建設的な話をした方がいいんじゃないですか」
「何言ってるの。もうすぐ出られるよ」
 ルセイアが丸い瞳をダスクに向けた。疑問を持つ余地さえない、まっすぐな瞳にダスクは思わず足を止める。
「はい?」
 ルセイアは数歩先で、唐突に立ち止まった従者を振り返った。
「明日か明後日には沈み切ると思うから、出る支度はしておいてね。私は行けないけど」
 沢山の情報が一気に押し寄せて、ダスクの頭は悲鳴を上げた。
 だが、その中で唯一、真っ先に処理された言葉があった。
「行けないってどういう事ですか?」
 ルセイアはまっすぐにダスクを見据える。
「だって、私は城主だから。城を守る必要はなくなるけど、ここからは出られない」
「意味がわかりません」
 ダスクの記憶の本が、駆け足で前のページをめくっていく。城が一気に沈みだした時のルセイアの顔、家族と別れた時の言葉、一切書かなかった手紙、そしてナーサの役目。
 何もかもがダスクの知らない所で勝手に動き、勝手に幕を引こうとしていた。
「俺は陛下と父に貴方と城を守るように言われました。ですが、その話は聞いていません。一体、何の事ですか!」
 ルセイアは今まで見た事のないような、困ったような笑顔を浮かべた。
「うーん……困ったなあ……」
 まるで駄々をこねる子供に対する親のような言い方に、ダスクの頑丈な堪忍袋の緒は一瞬で断ち切れた。

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