「逆人形」
「この先が書庫。書庫から取った本はこの部屋で読むことになってるんだ。父さんがうるさいからさ」
「へえ」
「ええと、嵐でいい?」
引き戸を開けながら訊かれ、嵐は頷いた。微かに漏れだす紙の香りに好奇心がくすぐられる。ランドセルをおろすのに手間取った。
「君は?」
「あ、言ってなかった?」
「うん」
「仲島翔太。翔太でいいよ」
適当に自己紹介をし直してから書庫に手招きする。備え付けの懐中電灯がなければ、暗闇の中迷いそうなほどに入り組んでいた。それだけに期待も高まる。これほどの本棚の列を見たことがなかった。
「どれだけあるの?」
「どうだったかなあ。爺ちゃんの爺ちゃんが本好きでさ、それで爺ちゃんも父さんも本好きだからこんなんなった。俺も全部見たわけじゃないからよくわからない」
「すごいなあ」
「ちょっと黴臭いけどな。……ああ、この辺り」
暗闇の中たたずむ本棚を懐中電灯が照らしだす。白い円が区切ったその空間にはぎっしりと詰め込まれた本が見えた。手にとっても埃がたたない。翔太が頻繁に読み込んでいるのだろう。
「民話とか、そんなの。怖い話はあんまないな。ここらへんの民話が多いかなあ、やっぱ」
言って、くるくると懐中電灯を巡らす。本を開く嵐の手元を照らし、顔を覗き込んだ。
「見たことある?」
「ううん。初めて見る。うちにもないよ」
翔太は満足そうに笑った。彼にとってこの書庫は秘密の場所であり、嵐はその場所を共有てきる初めての理解者なのだろう。
それは嵐も同様だった。本を読む彼を級友たちは馬鹿にしたため、嵐は誰かと本について話す機会を失っていた。翔太は初めての理解者だった。
どことなく安堵した雰囲気がたちこめ、気を許した翔太は次々と本を紹介した。この辺りの土地にまつわる民話、河童の話、妖怪が出たと報じる新聞の話――それらは全て嵐を魅了し、棚に寄り掛かりつつ本を物色する。これほど気を許して本を物色したことはない。その上好奇心の塊と化した嵐の欲求を翔太は満たす。
翔太は嵐にないものを持っており、嵐は翔太にないものを持っていた。
腕一杯に抱えた本の重さに昂揚しながらようやく書庫を出る。話し込んだ時間の長さを障子窓から確認出来た。差し込む光が暖かなオレンジに変わっている。
「時間平気?」
二つ返事で頷く。友達の家に行ってきた、と母に言うのが楽しみだった。
翔太はよし、と言って笑うと飲み物を取りに行くと言って退室する。彼が戻ってくるまで待とうかとも思ったが、生憎本に関しては我慢のきくほうではなかった。寝そべりながらゆっくりと本を開く。新しい世界が開かれるような期待感に胸を膨らませ、表題を開くところだった。
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