遊園地の夜



 見たことのない天井であるのは当然である。自分は倒れ、そしておそらくここは病院の一室なのだろう。自分の状況にやっと理解が追いつくと、エルフは細切れに行っていた呼吸を穏やかなものにした。落ち着いて見れば酸素マスクがつけられており、腕には点滴が繋がれている。無理に動かなくて良かったと安堵した。
「私がわかりますか? ここがどこか」
 エルフは頷く。声を出そうと試みて言葉にならない声を発し、そして何度目かに「わかる」と答えた。
 そのはっきりとした言葉遣いにエリゼは思わず涙ぐむ。
「よかった……」
 目元にハンカチをあてるエリゼの様子を眺めながら、エルフは自らの記憶を遡っていた。どうやって倒れたのか、それからここに至るまで、何か抜け落ちていることはないか。そうして自身の記憶を確かめずにはいられなかった。倒れた時の自分と目覚めた今の自分に齟齬がないか、それを確かめなければ不安で仕方がなかった。
「……なあ」
 呼びかけると、エリゼは顔を上げた。エルフは単語を区切り、ゆっくりと言う。
「今のわたしは、倒れる前のわたしと、同じかい」
 エリゼは目をしばたかせ、しかし、驚くでもなく穏やかな眼差しで言う。
「どうでしょう。倒れた割には、随分と楽しそうに見えますけど」
「楽しそう?」
 妻の言葉を鸚鵡返しに問い、そしてエルフはその言葉が今の自分にぴたりと当てはまることに気が付いた。
 倒れて病院に搬送され、目覚めたはいいものの体を動かすこともままならない病人である自分。それは本来なら落ち込むべき、そして憔悴するべき状況である。
 なのに、どうしてか心は晴れやかで、落ち込むどころかスキップをして踊っているようだった。本当なら今すぐにでもこの気持ちを妻に伝えたい。自分だけが持つには勿体なさすぎる。楽しそう、という言葉はまさにこれであった。
 現状と内実の齟齬が、エルフを不安にさせていた。
 ちぐはぐだった心身が、歯車がかみ合うようにぴたりとはまると、エルフはようやくほっとした。
 その表情を見つめ、妻が問うた。
「……なにか、いい夢でも見たんですか?」
 夢、と口の中で呟いてみて、エルフは頷いた。
「……そうだね。とても楽しくて、懐かしい夢だった気がする」
「そうですか」
 エルフは夢を思い出そうとしたが、夢はやはり夢であった。手を伸ばしてつかみとれるものではなく、ようやくつかんだと思えば記憶の断片であったり、霧散してしまったりととらえどころがない。
 ただ、とにかくよく笑った夢だったことは間違いない。
──でも、誰とだったか?
 自分が書いてきた小説のキャラクターが出て来た記憶はある。そして、少年時代に思いを寄せた少女が出て来たことも──これは妻には言うまい。
 だが、彼らとではない。
 今までにないほどのスリルと高揚感を味わい、共に笑いあったのは一体誰だったのか、見知らぬ他人にしてもその顔や雰囲気すらまともに覚えていなかった。
「ああ、いけない。先生を呼んでこないと。ちょっと待っていてくださいね」

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