時、馳せりし夢 「一」



 家族を殺された復讐心を理性で押しとどめ、普通の生活を送っている女性の観察だった。事前調査の結果から見ても、実際に見ても、「魔」は常に頭上にはあったがそれに左右されるような生き方はしていないようだった。仕事に励み、日々の生活を楽しんでいる。ただし、家族を殺されてから今に至るまでの二十年、彼女はずっと一人で暮らしていた。
 こういう人間もたまにいる。傷を隠すのが極端に上手く、「魔」を頭上に頂きながら決して振り返らない人間が。理性の防壁が圧倒的に強い人間へ、「魔」の針はなかなか届きにくい。
 経過観察か、とヘンデカが彼女の処理優先度を下げようと考え始めていたある日、その日は祭日でどこか町中の空気が浮かれたようになっていた。外出するのに丁度いい気温で、彼女が住む町の公園で祭が催されることになっていた。家族連れや子供だけの集団がいくつも道を通り過ぎ、公園へと向かっていく。彼女も毎年のそれを楽しみにしているようだったし、気が緩んでいたことを否めないヘンデカも、その浮かれた空気に飲み込まれていた。
 変異が起きたのは祭も盛りを過ぎた夕方頃であった。
 家路へ向かおうと公園の出口へ向かう人の波の中で、悲鳴があがった。次いで、何度か乾いた破裂音がする。ヘンデカが向かった時には既に何人かが倒れ、その体の下には大量の血が広がっていた。死体の側には逃げ惑う人々の背中に向かって、拳銃を向ける男が立っており、その頭には大きな黒い縫い針が刺さっている。
 黒色の針はタチが悪いものが多い。ヘンデカは周囲を見回したが、どこにも仲間の気配は感じられなかった。こんなになるまで、組織で感知出来ないはずがない。突然変異にしても何かの予兆は感じられたはずだ。
 破壊か放置かの判断を迷っていたその時、男の背中に突進する影があった。あの女性だと認識した途端、彼女は手に持っていた石を男の頭目がけて振り下ろした。再び悲鳴があがり、パニックに陥っていた人々は狂騒する空気の中で足を絡めとられたように立ち止まり、その光景に注視した。
 銃によって絶命した家族連れと、頭を割られて死んだ男と、右手から顔にかけて生臭い血をまとった女性の姿に誰もがまともな思考を保てるはずもなかった。
 ヘンデカの目にはその変化が如実に見えていた。それまで何もなかった空に、次々と針が浮かぶ。その中でいっそう黒い針を頂く人がいた。あの女性だった。
 ふっと、彼女の中で守るべき何かが崩壊したように見えた。もしくは、僅かな隙を「魔」が見つけたのだろうか。ようやく見つけたと言わんばかりの速度で「魔」は彼女を刺し、女性は大声をあげながら既に絶命した男の頭に何度も何度も石を打ちつけた。
 血が飛び散り、頭蓋が割れる音がした時、止まっていた時が動き始めたように、注視するだけだった人々は三々五々逃げ去った。その中でどうにか理性を保つことが出来ていた何人かの男が女性を押さえつけ、凄惨な事件はどうにか幕を引くことを許されたのである。
 ヘンデカはただ見ているだけしか出来なかった。
 「魔」が刺すのはあまりにも唐突である。だから驚きは少なく、事件の凄惨さ以上のショックは少なかった。ただ、引き金となった黒針を組織が見逃していたとはどうしても思えず、ヘンデカはすぐにボスへ尋ねた。どうして、あれだけの大物を見逃していたのかと。
 女傑は葉巻をくわえ、あっさりと答えた。

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