時、馳せりし夢 「一」



 ヘンデカは嘆息し、封筒の中身を改める。いつもと変わらない、緑色の同心円を描いた便箋が一枚入っているだけだった。微かに香るユリの匂いはボスの香水だろう。老齢の女性ではあるが、女傑と言うに相応しい器の持ち主である。ヘンデカも彼女の実力は認めており、だからこそ封筒を開く気になった。トリアーコンタの言った「お優しい言葉」とは皮肉半分、残り半分は本当に言葉そのものの意味なのだろう。
 同心円をしばらく見つめ、ヘンデカは溜め息をついて空を見上げた。晴れた青い空はヘンデカの悩みなどまるで知らない顔で見下ろしてくる。もっと軽やかな気持ちで眺められたなら、最高の青空だ。雲一つなく、強い風が雑念を吹き飛ばしてくれる。ヘンデカは冷たく強い風に身を任せるのが好きだった。
 ただ、今はある一つの雑念が心を捉えて離さない。
 デリカシーの欠片もなくトリアーコンタの言った「最後の仕事」という言葉が、魚の骨のように突き刺さって取れなかった。飲み下すことも、吐き出すことも出来ず、ヘンデカはその痛みを持て余していた。それを敏感に感じ取ったからこそ、トリアーコンタはオブラートなどという生ぬるい手段は用いず、直線的な言葉を選んだ。案外、この仕事を持ち込んだのもトリアーコンタの方かもしれなかった。
──魔がさす、という言葉がある。
 慣用句として用いられるものだが、ヘンデカが身を置いていた、あるいは今も半身が浸かっているような世界では現実的な事柄であった。
 人が無意識に、突拍子もなく、人の道をもとる行為を行う時、それは人の心が呼び寄せた「魔」が心へ棘を「刺す」ために、人は理性という箍を外されて道をもとるのである。
 「魔」と言っても聖書や神話で語られる悪魔や鬼とは違い、大体が針の形を取る。見る者の記憶に左右される為にそれは縫い針であったり、時計の針であったり、まち針であったりと多種多様で、中には針ではなく槍を見たという者もいた。針のような形状をしているものなら何でもあてはめて表されるらしい。そうした方が認識者も飲み込みやすく、わかりやすいからだと女傑のボスはヘンデカに教えてくれた。馬鹿馬鹿しい仕組みだが、実際それですんなり受け入れられるのである。
 彼女が率いるのはそんな「魔」を操作する組織であった。「魔」を認識し、触れられる人間を集めて訓練し、武器を与えて破壊、時には観察する。表の世界でも裏の世界でも存在すら噂のような組織だが、実際に身を置いていたヘンデカからすればアクの強いメンバーだらけの妙な集まりでしかない。
 だが、人に見えない物を見て、触れられない物に触れていたヘンデカからすれば、自分と同じ種類の人間が世の中にこんなにもいたという事実は驚きと喜びを与えてくれた。どうでもいいと適当にしていた人付き合いを、ここではもう少しまともにしてみようと思わせてくれる場所だった。
 得体の知れなかった「魔」の形と対処法を教えてくれたことは心から感謝している。だから、それに報いようと働いていた。仕事の手紙が来る度に破壊、あるいは観察し、人が救われる場面や、道を踏み外す場面を何度も見てきた。操作するという意味の本質をわかった気になっていた。
 最後の仕事、と言われているのは十番目の仕事である。

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