「……」
嵐は振り向かない。ただバックミラーを凝視している。
霧がいよいよ濃くなって、『猫目堂』も白樺林も見えなくなるまさにその瞬間―――
真っ白い大きな翼が、清らかな光を放ちながら空へ向かって飛び立っていくのを、嵐は鏡越しにしっかりと確認した。
「…やっぱりそういうことか」
そう言って、くすりと笑いをもらした嵐に、
「ん?お前、いま何か言った?」
「いや、何にも」
「そっか」
「ん」
「しかし、あのコーヒーと焼き林檎は絶品だったなあ。ぜひまた食いに来たいよな」
「うーん」
明良の素直な感想に、嵐は思わず首をひねる。
「何だよ?お前、美味いと思わなかったの?」
「いや、そうじゃなくて……」
どうやら何も分かっていないらしい相棒に、いったい何と説明したら良いのだろう。そもそも、なぜ今回に限って明良にも美優の姿が見えたのか、どうにもそれが腑に落ちない。
(あの神儺って子の力なのかな?それとも、あの二人の――)
そんなことを考えて、傍らでぶつぶつ文句を言いながら車を運転している明良に、嵐はそっと視線を向ける。
「なあ、嵐、お前はまた食ってみたいと思わねえの?」
「いや、食いたいのはやまやまだけど、たぶんあの店にはもう二度と行けないような気がする」
「何でだよ?」
そこで話はまた堂々巡り。
さて、どうしたものか。
嵐が大きくため息をつくと、
「あなたたちなら、きっと『猫目堂』に来ることが出来ますよ」
「いつかきっと、またお二人でいらしてください」
風に乗ってふわりと嵐の耳元に届いたのは、ラエルとカイトの柔らかな声。
「……そうかも知れないな」
嵐はくすりとほほ笑むと、かすかに頷いて見せた。
隣では、明良が怒ったような顔でハンドルを握っている。
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