Piece19



 緩慢な動きの中には、それしか自分にはやれることがないという諦観と、誰かに会えばそれが変わるかもという微かな期待が混じっている。
 深呼吸し、木に背を預けた。背中に木肌を感じて集中出来ないかもしれない、とヤンケはちらりと思ったが、それも一瞬のことだった。『マッド』を機動させると同時に、彼女はあっという間に仮想空間へと飛び立ったのである。その時に、ヤンケはぼんやりとだが、これには集中などいらないのだと悟った。
 ただ、現実から逃げ出したいという思いがあれば、ここにはすぐに行けるのだと感じた。
 仮想空間は相変わらず長閑なもので、現実の季節感など完全に無視をした温もりで満たされている。木々は柔らかな色を投げかけ、空はどこまでも青い。ぽこぽこと浮かぶ雲は羊の歩みよろしくゆっくりとしており、そこここに浮かぶ島には穏やかな風が吹く。
 ヤンケはこのイメージを変えようと思ったことはない。ここに来ればいつも落ち着くからだ。それが逃げ込んだが故の安寧だと、今日は痛いほど感じた。長閑な光景であればあるほど涙が出てくる。肌寒い現実である方がまだ良かったとさえ思った。ここは情けない自分を慰めるための場所なのだと知った。
 ワイズマンはヤンケを子供ではないと称したが、それは違うとヤンケは思う。子供ではないと思いたい自分が、ただそう見せているだけにすぎない。
 自分は卑小な人間でしかない。子供であることを知らない子供の方が、どれだけ始末におえない事か。何かに縋りたいと思う心と出来ないと思う心が拮抗し、そんな拮抗すらも誰かに押し付けて助かりたいと思う自分がいる。
──恥ずかしい。
 どうやってここから脱せばいいのかもヤンケはわからなくなっていた。足掻けば足掻くほど、思考は泥沼にはまっていく。しかも、ヤンケにはそれが泥沼なのかすら判断がつかず、無為な思考をもてあそぶしか出来ない。
 そうしていくうちに、ヤンケの沈降していく意識を仮想空間が侵食していく。それは時間を追うごとに目に見えるほどはっきりわかるようになり、ヤンケの姿は穏やかな風景に溶け込もうとしていた。仮想空間のイメージを作り出しているのがヤンケの思考なら、消えようとするイメージに空間が従うのは道理である。しかし、ヤンケの頭はそんなことにさえ考える余裕を失っており、消えていく爪先をぼんやりと見つめるだけだった。
 涙も消え、茫洋とした瞳から光までも失われかけた時、流砂に飲み込まれるが如く消えようとしていたヤンケの腕を、強い力が引っ張り上げた。
 体を支えることも忘れたヤンケの足はたたらを踏み、その場に尻もちをつく。そこでヤンケはようやく自分の状況を知り、地面についた手で草の感触を何度も確かめた。柔らかな芝は掴んでも消えることがなく、ひっそりと風にそよいでいる。
 腕にはまだ、掴まれた感触が残っていた。大きくて無骨な、冷たい手だった。
「……ネウンさん」
 顔をあげ、ヤンケは自身を見下ろす薄茶の瞳と視線を交差させた。
「……裏口はわからなかったか」
 抑揚を欠いた声音は気遣うでもなく、ただの確認としか受け取れない。しかし、今のヤンケには何も含まないその言葉が一番、身にしみた。一度にあまりにも多くのことを考え思考にとらわれた心を、ネウンの声が清水のように洗い流してくれる。

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