Piece13
そして、走り回る内に迷ったギレイオは、家と家の間にある物陰に隠れて今に至る。
少女にこれ以上喚かないことを誓わせた上で手を離し、自身もその場に座り込んだ途端、どっと疲れが押し寄せた。しかも負う必要のなかった疲労と思うと、余計に疲れが増すような気がしたので、それ以上は考えるのをやめておく。疲労も怒りも、とりあえず今は疑問へ向けた方が建設的なようだった。
肩で息をするギレイオをよそに、少女は涼しい顔でそんなギレイオを眺めやり、サムナも同じく無表情で相方を眺めやる。サムナは仕方ないことだが、一瞬なりとも腹立たしさを覚えたのは確かだった。
「……意外と体力ないのね」
さも不思議そうに、少女は屈みこんで言う。
ギレイオは息を整えながら答えた。
「……そりゃ、それなりに体重のある奴を抱えて走りゃ……」
最後まで言い終るのを待たずに、少女の平手がギレイオの頭に見舞われる。
「女の子を前に言うことじゃない!」
「胆の据わり方が女じゃねえよ」
「なんですって?」
「あんだけ大声が出せりゃ、本職の人間も逃げ出すっての。安心しろ、お前をさらうような奇特な奴はいねえ」
幼い少女を相手に随分な言い様ではあるが、実際、腹を立てたいのはギレイオの方だった。今はそうするだけの気力も体力も失われているから、一番、自分の心身に良い方を選択し、ギレイオは立ち上がる。
「じゃあな、次はもっとそれらしい奴を相手にして遊んでろ」
盛大に溜め息をついて去ろうとした時、少女は弾かれたように「待って」と叫んでいた。そして、ギレイオの後に続こうとしたサムナの服を掴んで引き留める。
「違うの! そうじゃないの!」
「違うもくそもあるか」
踵を返したギレイオはつかつかと戻り、少女の手をひきはがす。途端、少女はその勢いで今度はギレイオの手を掴んだ。
「……あのなあ」
子供の相手はこれだから嫌なのだ、とギレイオの表情が雄弁に語る。何もかも、自分の都合で物事が進むと思っている。
ギレイオはいらいらとしながらその手を振り払い、「行くぞ」と言ってサムナを引っ張った。しかし、相方の体はびくとも動かない。何事かと思って振り返ってみれば、また少女がサムナの動きを制約している──だけではなく、サムナ自身もどうやら少女の言葉に興味を引かれたようで、立ち止まって彼女を振り返っていた。
ギレイオの胸に重いものが落とされる。これは、いつものパターンだ。
よく見れば、少女の目も顔も真っ赤で、外の輝きを映した滴が頬を流れて落ちていく。一度、道が出来てしまえばあとはもう止めどなく、大粒の涙が次から次へと零れた。
サムナに涙の意味はわからないだろうが、確かに興味のひかれる「現象」ではあるだろう。
「……これまでとは違う話があるようだが」
そう言って、相方はギレイオを振り向く。その顔には何の表情も映されてはいない。だが、映していないからこそ、誰にとっても都合のいい感情がそこには映される。ギレイオの目には今、「好奇心」という表情が見えていた。
──誰にとってのものなのか。
声もあげずに泣く少女、「好奇心」を映したサムナ、この二つを振り払っていくには相当な労力を強いることだろう。おそらく、気力の面でも体力の面でも。
ソランの件はいまだ片付いていない。だが、それとこれを平行して片づけられるだけの器用さは、今のギレイオには生憎、持ち合わせがなかった。
しばらく二人を見つめ、ギレイオは盛大に溜め息をついて、全身の力を抜く。
「……そーみたいだな」
こういう時、どうしようもないことは知っている。サムナは意外と頑固なのだ。
涙で腫れ上がった目を向ける少女を見ながら、ギレイオは、先刻触れた少女の手の感触を思い出していた。
おそらく、十になったばかりか、それよりもちょっと上ぐらいの年齢だろう。その年頃の娘に似つかわしくない擦り傷や切り傷を、彼女の小さな両手は沢山抱えていた。
Piece13 終
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