Piece11
玄関ドアを開けて入ると、自動的に明りが灯された。一気に暗闇を払拭した邸宅は息を吹き返したかのようだったが、それでも、どこか寂しい感じが漂う。鎮座した家具類にも、壁にも、床にも、かつて人が生活していた痕跡があるというのに、かび臭い匂いも手伝って、死人が蘇ったような感覚と似ていた。
いつもと変わらない迎えの儀式、無感動にそれを受けるデイディウスは大きく息を吸い、しわがれた声で言った。
「ただいま」
声は虚に反響して返るものもなく、ただ沈黙に溶けていった。習慣のように口をついて出るこの言葉が忌まわしく、そしてそれを止めることが出来ない自分が愚かしい。返ってくる言葉も、温もりも、既に失って久しいというのに、まだそれを求めようとしていることが馬鹿馬鹿しかった。
──それでも、人は縋りつきたいものだ。
縋りついてでも掴まねば、壊れてしまうものがある。
自動的に閉まり、鍵のかかった玄関を確認してから車椅子はしずしずと進む。
玄関からは三方に廊下が伸びており、正面から伸びる一番広い廊下に沿うようにして、二階へ上がる階段がある。この体になってからというもの、デイディウスは二階に上がったことがない。正確には、車椅子を手に入れてから、の話だが。それでも、二階に関する記憶は褪せることがないのだから、人の記憶とは不思議なものだった。もう手を伸ばすことの出来ない物に対しての記憶の方が、手を伸ばすことの出来る物に対する記憶よりも、色鮮やかに思い起こすことが出来る。
車椅子は三方に伸びる廊下のうち、左の廊下に進んだ。いくつかのドアを通り過ぎ、家の端に来たところで角を折れる。その先には邸宅の一番奥に位置し、かつては物置に使われていた部屋があった。
色んな物があったように思う。今は全く別の目的のために使っているため、掃除の際に全て捨ててしまったが、捨てる時に一切の未練がなかったことは、デイディウスにとっては驚きだったことはよく覚えている。今はもう、何があったかすら思い出せない。
扉には暗証番号つきの電子錠と、南京錠がついている。南京錠は元からあったものをそのまま使っていた。電子錠があればさして問題はないのだが、あれだけ部屋の中身を潔く捨てたというのに、南京錠だけは捨てるに捨てられなかったのだから、おかしな話である。多分に、この重さがそうさせるのだとデイディウスは思っていた。重さと思い入れは比例するものではないから、思い入れはないのだろう。ただ、この重さを手放すことに一抹の寂しさを覚えたのは、人らしさの表れでもあるのかもしれない。
暗証番号を入力して電子錠を開け、首に下げていた南京錠の鍵を取り出して、錠前を開ける。開錠された南京錠を膝に置き、扉を開けて中へ入った。
この部屋に明りはなく、暗闇が巣食う中にぼんやりと青白い光を垂れ流すカプセルが立ち尽くす。多くの機械に繋がれたカプセルには培養液が満たされており、その中には誰もが目を疑うような物が浮かんでいた。
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