Piece8



 一度は背にした扉を前に、ロマは血の気が引いていくのを感じていた。二度と、この扉を前にすることはなく、ましてやノックすることも、「先生」と呼びかけることも、ノブを回すこともないと思っていた分、それらの行動に必要な決意がどっと押し寄せてきて緊張は否応にも増す。
 それを横目で気の毒そうに眺めながらギレイオも待つと、中から「はい」という穏やかな男の声と共に、扉が押し開かれた。
 途端、ロマだけでなくギレイオまでも緊張したのを感じ取り、サムナは自分の相方がここまで緊張する相手とはどんな男だろうかと興味を持って、件の人物を注視した。
 開いた扉から顔を出したのは、眼鏡をかけた穏やかそうな男だった。短めの黒髪に白衣、と、見た目に特筆すべきところはない。これで筋骨逞しい男か、さもなくば目に狂気でも宿しているような男であればさすがにサムナも警戒はするが、見た目にはごく普通の男のように見えた。
 男はロマを認めてにこりと笑い、次いで、ギレイオを見てにこりと笑った。
「こうやってのこのこ帰ってきたということは、それなりの理由と詫びがあるわけですよね?」
 顔に張り付かせた笑顔とは似ても似つかない、ナイフのような言葉が飛び出してくる。
「ロマ君の話は後で聞きましょう。ギレイオ君はだいぶお久しぶりですが、逃げ出した君が僕へ一体何の用件でしょう?」
 ギレイオは思いっきり顔をしかめた。
「逃げたとか嫌な言い方すんなあ……」
「それは、ほら」
 男は腕を組む。
「義眼をはめる施術に麻酔はいらないとか強情張って、結局途中で泣きわめいて失神したり、義眼と魔法の訓練について行けないからといって拗ねたり、施術の代金を踏み倒したり、と逃げるには充分な理由があると思っているので」
 まさか、と男は笑みを益々深いものにした。
「それらを全て忘れたとか言いませんよね?」
 傍目にも、ギレイオが言葉のナイフでぐさぐさと胸を抉られているのがわかる。つまりは事実のようだが、昔のことをよくもここまで覚えていられるものだ、とサムナは感心していた。
「……言わね……」
「目上の人には敬語をと教えたことも忘れましたか」
「…………言いませんからちょっと話を聞いてもらえませんかねえ」
「それが人にものを頼む態度ですか」
 ギレイオは煮えくり返るものをどうにかこうにか押さえ込み、絞り出すような声で言った。
「……お願いします」
 男はその様子がおかしくて仕方ないというように吹き出して笑う。口元に手を当てて隠してはいるが、笑っているのは明らかで、それが更にギレイオの神経を逆なでしているのは確実だった。男は意図してそうしているようで、ロマが残念そうな目つきでギレイオを見る。
「……まあいいでしょう。どうやら、その時のツケが来ているようですし」
 ツケ、と言って男は左目を示した。ギレイオは黙って視線をずらす。
 男は小さく息を吐いて、一部始終を見るだけだったサムナにようやく目を向けた。
「あなたはギレイオ君のお友達ですか?」
「……そのようなものだと思います」
「へえ」
 男は一瞬、目を見張ったが、すぐに常態に戻って手を差し出す。
「初めまして、フルカス=ワイズマンといいます。先生ともワイズマンとも呼ばれています」
 差し出された手を握り返して自己紹介をしながら、確かに、ギレイオやロマが恐れるだけはある、とサムナはひそかに納得していた。



Piece8 終

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