040.浴衣(1)


 中空を漂うテレビ画面から流れるニュースを見ながら、彼女は布を広げた。

 自分が嫁ぐ時、母から持たされた着物を裁断したもの。いずれは自分の子供の手に渡るのだろうと思っていたが、数年前に婿と子供と共に交通事故で死んでしまった。黒い仏壇で、彼らと彼女の夫の写真が笑っている。

 毎日線香を絶やさずに、毎日水とご飯を供えている。死んだ当時こそお菓子やらビールやらも供えていたが、今ではそれを行うほどの体力も残されていなかった。寝たきりになるのも近いと、医者に宣告されたのはつい一ヶ月程前のことである。

 部屋の様式は彼女が親しみ慣れた和風の部屋だが、そこここに点在する家具や電化製品は時代の煽りを受けて昔より簡素になっている。

 冷たい感じがするものと始めは嫌っていたが、便利なものは彼女の体を労わった。

 それでも裁縫箱だけは頑として買い換えず、今となっては珍しい木製の裁縫箱がちゃぶ台の上に広げられていた。

 針山から針を一本抜き出し、糸を通して頭の中の設計図通りに針を進めていく。ミシンで行ってもよかったが、着物を解体する時に出てきた昔の糸を目にし、ならば自分もと手縫いにした。大丈夫、年はとっても体がちゃんと覚えている。

 裁縫は上手いほうだと思う。上手いと言われ続けてきてもいるし、何よりあの子はわたしの手の動きを感心しきって見るのだ。手で何かを成し遂げることが少なくなった今、あの子の目にはわたしの手の動きが新鮮なものに見えるのだろう。

 時折、手が震えて針で指を刺したりもしながら、彼女は黙々と針を進めた。決して手を抜いてはならないと言い聞かせる。

 長持ちするように──少しでも覚えてもらえるように。

 いつの間にか窓から差し込む陽の光が橙色に染まり、彼女は息をついた。長いこと同じ姿勢でいたため体が強張っている。軽く体を伸ばし、彼女は再び作業に戻った。

 こんなところを見られたら呆れられるかしらね。年なんだから、と怒られるのかもしれない。どちらにせよ感情の起伏があまり見られない子だから、それはそれで楽しみなような気もした。

 けれど今日は、いない。昨日の夜、あの子に電話がかかってきた。役所からだ。恐らく今後の生活と戸籍の取得に関しての相談だろう。そうしてどんどん出かけていき、最後にはいなくなってしまうのだろう。

 娘家族のように。

 もっと孫を抱いていたかった。もっと婿殿と話をしたかった。もっと娘の幸せな顔を見ていたかった。

 それを暴力的に奪われた時の喪失感といったらない。ただ驚くしか出来なかった。何故老い先短い老婆ではなく、娘家族を奪っていったのか。何故彼女たちが死に、わたしが生きているのか。

 ただ、驚くしか出来なかったのだ。

 あの時のことを思い出すと、今でも胸の奥が掴まれるような苦しさを覚える。そうでない時は一つ気になる、娘家族たちと暮らしていた家庭用クローンの行方を心配していた。事故にはあわなかったようだが、今現在どうしているのか全くわからない。警察に問おう問おうとして、すっかり時間が過ぎてしまっていた。

 彼女は思考の渦から現実に戻り、手を動かし始めた。年をとってからというもの、思考と行動を共に出来なくなっていた。

 綺麗な着物。母が着ていたのを思い出す。花柄の美しい着物だが、うるさくない程度に散りばめられた花が彼女は好きだった。だから殆ど袖も通してはいない。娘の結婚式に着たのが最後だ。

 それを裁断することに何の躊躇いも感じなかったことに、彼女自身も驚いた。

 あれほど好きだった着物。しかし着る者のいないお飾りの着物でその生涯を閉じてしまうのはなんとも物寂しい。人が着て初めてその美しさが現れるというものだ。

 ならば仕立て直してこの人と思った人間に渡しても、誰も文句は言わないだろう。

 橙色だった陽光も消え失せ、窓の外は暗闇に支配されようとしていた。電気をつけようと一つ、大きく手を叩く。すると天井の照明に明かりが灯り、室内から暗闇が一掃された。文明の利器とやらはやはり有難い。

 あともう少しだから、頑張ってみようかしらね。

 久方ぶりの徹夜もいいかもしれない、と彼女はくすりと笑った。けれど目の前のそれを広げてみれば徹夜など必要のないほどに完成が迫っている。

 衰えの見えない裁縫の腕に満足し、彼女は作業に戻る。ひと針ひと針、布を針と糸が通っていく感触を確かめながら、完成へと向かっていく。空腹もその心意気に負けたのか、すっかりなりをひそめている。

 彼女がふう、と息を吐いた時、がちゃりと玄関のドアが開き、大股で向かってくる音がした。焦りと微かな苛立ちの見える足音。あの子だわ。

「すみません、遅くなりました。何やってるんですか」

 襖を滑らせ、顔を赤くして少女は言う。走ってきたのか、汗が顔をつたい肩で息をしていた。早口で謝罪すると今度は詰問調になる。無愛想な物言いだが、彼女はそれが微笑ましくもあった。

「どうして寝ていないんです」

 少女は語気を荒げて彼女の前に正座する。やはり怒るのか、と彼女はおかしくなってくすりと笑った。それが馬鹿にされているとでも思ったのか、少女は更に語気を荒げた。

「ぼくはあなたの体を心配して言ってるんです。それもわかりませんか」

「ありがとう。でも今日は気分がいいのよ。寝てばかりでは良くなるものも悪くなってしまうからね」

「寝て良くなるものなら早く寝て下さい」

「それでね、あなたを待っている間にこれを作ったのよ」

 自分よりも一枚も二枚も上手の老婆に、少女はうなだれながら目の前に広げられた花々に大して感銘を受けた様子もなく「それで?」と聞き返した。

「これはわたしの母親から、わたしがお嫁に行く時に貰ったものでね。あなたにあげようと思って」

「あなたから物を頂くほど何かをしたわけではありませんが」

 少女は真実そう思っていた。自分は家庭用クローンであるし、誰かの為に働くのは当然のことでそれを自分から取ったら何も残らないことをよく知っている。働き、つくすことが少女の存在理由なのだから、その対象者から何かを貰う言われはない。


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