034.心に刄


 いってらっしゃい、と笑顔で送り出す。

 いってきます、と彼等は笑顔で出て行く。

 上等なコート、上等なスーツ、上等な靴。どこぞのサロンにでも行くのかと思いきや、人を外見で判断してはいけないという良い例である。彼等はこれから殺し合いを見に行く。

 不動産会社の課長と、課長夫人という肩書きを押し戴いた夫婦に、その娘。

 いかにも出来た家族だが、彼等もやはり流行の波に乗らずにはいられなかった。

 戦闘技術の特出した違法クローンによる賭け試合。もぐりのクローン技術者がちょっとした金儲けのつもりで裏社会相手にやっていたが、常に新しい娯楽を求める金持ち達がそれに目をつけた。

 ただの賭け試合といっても戦闘技術のみに的を絞り、性能を上げたクローンである。一般で行なう格闘技試合よりもスリルに満ち、更に金を賭けたクローンが勝てば自身の懐も暖かい。

 それでも飽き足らず、競馬の馬主よろしく自身が資金を提供し、自分だけの戦闘用クローンを作る者までいるという。

 アンダーグラウンドで行なわれていることであり、今や金持ち達の一種のステータスにもなりつつある賭け試合だが、明らかに違法だ。

 集客、集金を一つの目的とし始めた頃から賭け試合の規模は年々拡大していき、ならばどうして国家権力の目に触れないのか。

 答えは明白。試合に使用されているクローンの水準は合法クローンのそれを遥かに上回り、国としてもそれに目をつけられずにはいられなかった。

 賭け試合を牛耳る組織の更に後ろで国が見張っており、堂々と違法クローンを作り続けることが出来るのだ。しかもわざわざ国のお膝元でもめ事を起こそうなどという馬鹿な輩はおらず、今のところ何の犯罪も起きていないというのだから笑ってしまう。

 あのクローン達は違法であるにも関わらず、しかしそれを犯罪だと咎める声はない。

 皆が皆、共犯なのだ。

 家庭用として生み出され、この家族に仕えている彼は玄関の鍵を閉め、食卓にそのままになっている夕食の後片付けに入った。

 健康そのものの彼等はいつも残さず食べてくれる。作り甲斐があっていい。肉汁たっぷりのミートローフを腹におさめ、血飛沫を飛ばして殺し合う賭け試合を見に行く神経はよくわからないが。

 シンクの中に食器を置き、お湯を出す。排水溝の穴に油まみれの水が流れていった。

 洗剤を染み込ませたスポンジを何回か握って泡を出し、一番上で洗われるのを待つワイングラスを手に取る。

 手に取った瞬間、指先に違和感を覚え、グラスを置いた。半瞬遅れて痛覚が指先を貫く。赤い血の玉が徐々に成長し、臨界点に達すると洗剤の泡にまぎれ、溶け込んだ。

──まだ買い直してなかったか。

 自分に降り掛かった災難よりも、彼は自身の忘却サイクルの早さに顔をしかめた。一昨日に気付いたはずである。グラスの持ち手の土台が少しだけ欠けていたことを。そして昨日は買い物にまで出掛けたことを。

 行かなきゃ、と漠然と考えながら再び洗い物に取り組む。じんじんと痛むが水で流しながらやっているのだし、そのうち止まるだろう。

 しかし不思議だった。彼は自分の中に、仕えている家族と同じ赤い血が流れているのを初めて知った。

 今まで怪我をしなかったわけではない。ひどい火傷を負ったこともあった。

 だが今日初めて、彼は自分の中にもちゃんと血が流れているのだと悟った。白い泡に溶け込む赤い血の映像が、頭の中を巡る。

 ああ、同じなんだ。ぼくはあの人たちと同じなんだ。

 けど、どうしてぼくはここでシンクに向かっているのだろう。

 あの人たちはクローンの血を見て興奮する。喜びを覚える。そこに快楽を見つける。あんな小さな女の子でさえ。

 ぼくはクローンの血を見て興奮などしない。タイプの差こそあれ、クローンはクローンであり、同じオリジナルから生まれた同胞だ。同胞の死をスポーツのように扱って喜ぶクローンは、いない。

 じゃあ、ぼくはあの人たちの血を見たら興奮するのだろうか。喜びを覚えるのだろうか。そこに快楽を見つけるのだろうか。

 彼等は人間で、ぼくはクローンだから。

 その決定的でありながら根本的なところで間違った認識を、彼の脳は正さなかった。それを新しい知識、家庭用クローンが人間に奉仕する上で必要な知識だと判断したからである。

 沢山の泡が排水溝に溜まる。

「きみは一つの泡沫か」

 クローンの誰もが持つ、本能的な質問。あの人たちに聞いてみたところ、泡沫とは泡のことで、また泡のように儚いことを言うのだそうだ。

 儚い、という言葉の意味はまだ聞いていない。

「きみは一つの泡沫か」

 試してみよう。本当に、彼等とぼくは違うのか。

 違うのなら、ぼくは今まで通り奉仕を続けられる。

 同じなら、ぼくはもう何も出来ない。

「きみは一つの泡沫か」

──試してみよう。

 彼は溢れそうになっている水になど目もくれず、ようよう溢れた水と共に床へ落ちて砕け散ったワイングラスの大きな欠片を手に取った。

 これは凶器になる。危ない。だからぼくは彼等の誰にも触らせなかった。

 触れると血が出るから。

 彼は少しだけ微笑む。一つ、彼等と同じところを見つけて嬉しかった。

 彼等のものほど大きくも、また錆びてもいない。

 小さく鋭く尖った刄が──自分の心に刄があることを、知った。



終り


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