032.泡沫
クローン。
一言で済ませばそれはとても簡単な存在だ。オリジナルの体細胞から核を取出し、人工子宮の中で育てる。
確かに簡単だ。簡単な記憶、簡単な経験則、本来順を追って得るべきところを省略して得て、それを自身のものとし、何食わぬ顔で人間に奉仕する。
共に生活するのではなく奉仕するというのだから、軽い拒絶が見える。
そもそも人とすら認めていない。人間をホモサピエンスと言うならば、クローンはそこから派生した根本は同じでも全く違った存在である。
医療用、軍事用、実験用、民間用。そうやって銘打たれたクローンは見た目にもその違いがわかるようになっていた。人間にも人種という違いがあり、それをクローンにも押し付けた結果ならば御粗末なことこの上ないが、ありがたいことに見た目ですぐにそれとわかるようにした結果だそうだ。
意味はない。手順の省略のみによる。
省略続きのクローンだが、その大元──諸悪の根源と言ってもいい、それはただ一人の吟遊詩人だという。
身寄りもなくたださすらうのみだった吟遊詩人は恰好の実験台だったのだろうと、今の識者たちは憶測を飛ばしているが、それらは全て憶測に過ぎない。
彼らはクローンの中に眠る吟遊詩人の記憶までは知り得ないからだ。
吟遊詩人という大きな幹から枝のように分かれていったクローンの中には常に、生まれた瞬間からある問い掛けがある。
「きみは一つの泡沫か」
生まれた瞬間にそんなことを言われてもわかるわけがない。とりあえず一年経った今、泡沫の意味がようやくわかったところだ。
質問は常に頭の片隅にある。それは記憶ではなく既に本能のようなものだと、クローンの誰もが確信していた。
しかし確信する反面、誰もその答えを探そうとしないのが真実である。探し見出だしたところで、クローンの中に眠る宝物のような存在意義が失われると、皆恐れていた。
生まれた瞬間、その瞬間さえも省略だらけのクローンがたった一つ、自身の手で段階的に掴み取ることが出来るであろう宝物をどうして失うことが出来ようか。
「きみは一つの泡沫か」
否定も肯定も出来ない。そもそもこの問いはイエス・ノーで答えられる質問なのか。具体的な答えを求めているのか。
「きみは」
ぼくは。
「一つの」
一人の。
「泡沫か」
泡沫とは泡のこと。クローンとは生まれては消える泡なのか。
そんなこと誰が許すものか。
ぼくはこうして歩いている。歩いているのはぼくだ。オリジナルじゃない。
「きみは一つの泡沫か」
答えは、「ない」。
ぼくはこれからそれを、見つける。
終り
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