020.4時間目
『──でな、……聞いてるのか?』
「うん、聞いてるよ。続けて」
『母さんが言うんだ。早く帰ってこないのは、何かやましいことがあるからだろうって』
「あるの?」
『あるわけないだろう。つきあいで飲んでるだけなのに、言い分を聞こうともしない』
「だって、ほら。俺が五歳くらいの時だっけ。父さんが遅く帰ってきたと思ったら、泥酔した上に女の名刺だろ。俺だって疑ったね」
『だからあれは』
「つきあいで行ったスナックの子の名刺だろ。母さんも納得しただろうけど、そういう前科があるんだし。諦めれば」
『家にも味方がいないのに、お前まで父さんを見捨てるか』
「嫌な言い方するなよ。俺だって仕事中なのに」
『仕事?ああすまん。じゃあ切るぞ』
「いいよ。どうせ暇だし」
『暇って、いいのか。大丈夫なのか、お前の会社』
「今は待機中」
『電話番か。まあ世界で動いてる企業みたいだから』
「そう。だからこうして父さんの電話にも出れるわけ。なに、電話したのってそれだけ?」
『いや、何か話そうとしたんだが……忘れた』
「……俺、介護なんて出来ないからね」
『馬鹿が。暇なお前の相手してやってるんだ。ありがたく思え』
「はいはいありがとう。……っと」
『何だ?上司でも戻ってきたか』
「違う。場所移動しただけ」
『別に、聞こえるぞ』
「こっちの問題」
『……まさかさぼってるんじゃないだろうな。さっきからいやに静かだが』
「少しぐらい息子を信じろよ。最近の携帯は出来がいいの」
『馬鹿が、心配して言ってるんだ。連絡もほとんど寄越さん馬鹿息子のな。おかげで母さんの心配性のとばっちりを、わたしがくってるんだ。たまには帰って来い』
「だからさ、俺忙しいんだって。こないだも言ったろ。何べんも同じこと言わすなよ」
『何べんも同じことを言わんと耳も貸さないお前に言ってるんだ。こうしてわたしが電話しなかったら、お前ずっと連絡しないだろう』
「それでもう、三時間も父さんの相手になってやってる不肖の息子の行いを誉めてほしいね」」
『親の心配をよそに何を』
「わかった、わかった。わかったって。電話口で怒鳴るなよ。肩で携帯挟んで話してるんだから。すげえうるさい」
『おい!』
「だから怒鳴るなってば……はいはい。連絡しますよ。手紙も気が向いたら書きますよ。これでOK?」
『ついでに帰って来い!』
「無理。ただでさえ人手が足りないのに、これ以上いなくなってどうすんの。クビにされちゃうよ。息子の生活水準の向上をはかるなら……」
『……?おい、どうした』
「……」
『おい。どうした。返事は』
「──……あーあ。ったく、父さんの所為だからな」
『は?何が』
「ヘマした。減給もんの」
『あ?それがわたしの所為だって?どういうことだ』
「そういうこと。しばらく仕送り増額してくれよ。母さんには内緒で」
『あのな』
「言ったら、あることないこと母さんに吹き込むからね。あの人信じやすいから」
『おいっ!』
「……ほら、四時間も話し込んじゃった。言い訳考えたいから、切るよ」
『……ふん、こってりしぼられろ』
「父さんもね。じゃあ」
プツッ。ツーツーツー。
彼は携帯をライフルの脇に置き、ジーパンのポケットから屑のような煙草を出した。何回かライターを鳴らした後にようやく火をつけ、軽く吸って吐く。
くわえ煙草でライフルを構え、望遠レンズで男を見た。痩せたサラリーマン風だが、あれでマフィアの会計士というのだから見た目はあてにならない。
男が歩く速度にあわせてライフルも動かしていく。しかし撃てない。
先刻まで電話ボックスの中にいたが、今はもう人込みに紛れ込んでしまっている。
この距離から撃てないこともない。だが男が不測の動きをした時、関係のない人間も撃ってしまう。それは始末書ものの失態だ。
だれにも気付かれぬよう。だれにも悟られぬよう。だれにも見られぬよう。
父と話している最中ならば確実に仕留めたものを。
「……ほんと絶妙なタイミングでかけてくるんだから」
だれも知らない。彼の職業は。
外資系の会社と言ってある。そしてそれがあながち間違ってもいないのだからお笑いだ。
「ラッキーだったな、あんた」
もう男は見えない。彼はライフルを置く。くわえ煙草を指で支え、口元を手で覆った。
今回だけは特別だ。
何時間も待って、四時間目にしての好機と失態。
だれにとっての好機だか、だれにとっての失態だか。
俺の親父に感謝しな。
終り
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