018.深夜2:00
どうして忘れていたんだろう。
どうして忘れられていたんだろう。
もう思い出せない。
自分がこうしていることが疑問であり、出口の見えない洞穴の中にいるようで、テレビを見ている彼等を眺めても、感慨すら湧き上がってこない。
何故笑っているのか。
テレビの中の人間も彼等も、空虚な笑いを浮かべることで日常であろうとする。
笑っていることこそが日常であり、悲しむ瞬間こそが非日常であると、背中が雄弁に語っている。
何故悲しむことを嫌うのか。
よく、男は泣いたら駄目だ、とか言う。それを時代錯誤の考えなどと言いながら、世間一般で泣く男は蔑みの対象になる。
表面だけで否定するぐらいなら、いっそのこと泣くなと言ってくれ。ずっとありがたい。
多分それが普通になっているのだろうから、公に泣いている人間を見ると、どうしてか気持が冷めていく。自分は泣かないと、常に気を張っているからかもしれない。
泣いているその人が羨ましく、自分を重ねてみたりするが、一向に気持が高ぶってこないから腹立たしい。
だから泣く人を見ると気持が冷める。
自分には出来ないことを、易々とやってのけるのだから。
けれど父が泣くのを見た時は、不思議に納得していた。
ああ、やっぱり泣くんだ。
何故死を厭うのだろう。
誕生が生の出発点であるならば、終着点も同時に存在する。
人の生きることが走ることであり、燃えることであり、咲くことであるならば、いつかは止まり、燃え尽き、散る。
ならばただ歩くこと走ること食べることの一瞬一瞬に、死はある。
人は死に行くために、自分の生き方を最高にしようと足掻くんだろう。
ならば死とは終着点であり最高点である。いつかは来る、誰にでも。
神様がくれる、最も平等なものだ。
深夜2:00のテレビからは、昼間の喧騒も虚ろにしてしまう笑い声が聞こえる。
どうして忘れていたんだろう。
ずっと一緒だったはずなのだが。両親も妹も。
どうして忘れていたんだろう。
僕は死んでしまったことを。
終り
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