エダの花火




「わからんぞ。それは表向きとかざらだ」
 花火となる以上、己の表も裏も全て見せるつもりでなければ申請など出来ない。覚悟と花火になれる誉れを天秤にかけても、今のところ、エダは花火になりたいと思える心境にはなかった。あけっぴろげになれるほど生きてはいない。その為なのか、花火への申請をするのは老人か死期を悟った人間、宗教に属する人間などが大半を占めたが、稀に若者や働き盛りの人間が名を乗せることもあった。
「じゃあ、なおさら綺麗に晴れりゃ良かったな」
 慰めるつもりでもないだろうが、ファロが気をきかせて言った。風が吹けば煙も薄れ、色鮮やかに咲き誇る満開の花々と天上のラッパを楽しめたことは言うまでもない。
「そうだな」
 しかしどこまでも、校長とあの花火は似ても似つかなかった。
 今回の戦争は、エダ側の国の敗北となった。耳に残るラッパが下品だと言う評価が相次いだからとのことであり、エダはそのことについて異論を唱えることはしなかった。



 毎月末に行われる戦争は、鑑火師側に存在する史書を紐解くと、かれこれ百年ほど続いている。エダは試しに花火師側の史書を読んだことがあったが、そちらでは三百年とあり、両者に横たわる二百年の差は「とりあえず長い」という感覚だけをエダに渡して、その信憑性を霧の中へと放り投げた。
 残虐だとか命の冒涜だとかいう論争はかなり前に始まり、それよりも少し後の、やはり今から振り返れば相当な昔に終わっている。今日でも細々とその言葉を呟く声もあるが、どれも花火を前にした人々の足下に横たわるだけで力を持った事はない。
 大半の人にとって戦争が日常の一つであるように、エダにとってもそれは変わりなかった。例えば近所で仲良くしていた老爺がある日「花火になるよ」と言ったなら「おめでとう。ちゃんと見ておくよ」ぐらいの言葉が適当だろうとエダは思うし、周囲もそうしている。だから、人が花火になるということは、ともすれば学校の卒業式の心境にも似通ったものがあり、違和感を覚えるほどのものではない。
 いっぽうで人の死は死として埋葬する。死者を花火にしたという例はなく、暗黙の内に生者に限るとされ、花火となる前に亡くなった人も多くいる。むしろ、それが大半なのだ。月に一度の戦争で打ち上げられる花火は数発と決まっていた。
──なぜ花火の鑑定による戦争なのか、そして人を使った花火なのか、という点については諸説あり、戦争のそもそもの発端にまで言及しなければならなくなる。
 一応は「戦争」という名目がついているのだから当初は恨みつらみもあったろうが、今はその名残を探すのも難しい。
「……憎悪で人を殺し合うのも馬鹿らしいと思ったんだろうさ」
 女性にしては低い声が、エダを思索の旅から呼び戻す。机の上で頬杖をついていたエダの前で、恰幅のいい女性が本を読んでいた。

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