八月三十一日の帰還者たち

(10)


 煙草を口に持って行きかけて、穂乃花はやめた。灰は煙草を持つ手にまで及び、穂乃花は思い出したように灰皿にそれを落とす。
「あんた、それずっと考えてたの?」
「高校の途中くらいからだけど」
 穂乃花はふと遠くを見るような目つきで進行方向を眺める。
「そこまで妄想が進んでるなら最後まで聞かせてよ。私たちがこっそりする理由は?」
 航も同じように視線を投げた。
「帰還者と彼らに近しい人たちが寂しくならないように。必要以上の報道と接触を避けるためだと思う」
 航が即答してみせると、穂乃花は驚くでもなくぽつりともらした。
「……私たちってそんなに寂しく見える?」
「星の距離ほど離れたらそれもわかんないよ。東京と北海道レベルならともかく」
「なにそれ、国内限定? 相変わらずスケールちっちゃいねえ」
 穂乃花は笑う。つられて航も笑ったが、すぐに収めた。
「親父と母さんにはこれ言うなよ。絶対」
「なら、私がさっき話したことも言わないでね。絶対」
 数秒考えてから、航はわかったと言って煙草を口に運んだ。それを認めた穂乃花も同じように煙草を吸いながら、先刻よりも静かな口調で言う。
「あとね、あんた早く結婚しなさい」
 唐突な命令に航は思わずむせた。ここしばらく母親や祖母にも同じ事を言われ続けて辟易していたところで、まさか姉の口から同じ言葉を聞くとは思いもしない。
 航は呼吸を整えながら、うっすら涙の滲む目を姉へ向ける。
「……なに、女同士で何か連絡でも取ったの」
「やっぱ言われてるんだ。ごめんね、多分、私の割を食ってるんだと思う」
 でも、と続けた穂乃花の表情は驚くほど落ち着いたものだった。
「さっきの話の続きじゃないけど、私が帰る日はどんどん先になっていくから、いつか帰った時には誰か待っていてほしいんだよね。あんたでも……あんたの子供でも、孫でも」
 具体的な年数を悟れる言葉を出されると、姉との時間があるようでないことに航は愕然とした。いつか、いつか、と言ってはいたが、それを航が思っているよりも遥かに現実的な痛みとして、姉は感じ取っているのだろうか。
 両親に「待っていてほしい」と言わないあたり、穂乃花は今回が両親に会える最後ではないかと覚悟しているようだった。
 航は大きく息を吐く。
「……彼女はいるよ、一応。結婚するかは先の話」
 早々に短くなった煙草を灰皿に押し付け、もう一本と勧める穂乃花に断りを入れる。
「人に言うばかりで自分はないって不公平だと思うんだけど。先遣隊って職場恋愛駄目なの?」
「あるとも聞かないけど、ないとも聞かないかなあ。……ちょっと、私にそれは無理だからね。絶対、無理」
「なんで」
「だって嫌いになって別れても同じ船の中だよ? きっついわ、それ」
「実家に帰ります、の定番が使えないのかー……」
「そう、だからあんたが頑張りなさい」
「……姉に言われて結婚とか引くなあ俺」
「彼女に対して責任取るのが筋ってもんでしょ」
「いつの時代の話してんだよ……」
 うんざりしながら航は窓に頬杖をついた。途端に次元の低くなった会話は気を軽くするもので、重く横たわっていた時間の壁を一気に飛び越えて、二人をただの姉と弟に戻してくれる。
 困り顔の弟に気を良くした穂乃花は、ぽんと、手を叩いた。

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