八月三十一日の帰還者たち

(9)


「お姉ちゃんの歳、覚えてる?」
 頷きながら、航は何かを探すように胸ポケットに手をやっていた。しかし、空振りに終わったところでようやく自分が煙草を探していることに気づき、健康のためと禁煙していたことを更に後になって思い出す。表面上は冷静でいられるが、内心は忙しなく感情が動き回っていた。落ち着くためには深呼吸一つでは物足りず、だが、無い物は出せない。
 手持ち無沙汰に首に手をやったりして気を紛らわせていると、目の前に煙草が差し出される。航が吸うのよりもいくらか優しい、メントールの香りがついた代物だった。
「……学生服でそれ出す?」
 穂乃花は既に一本、口にくわえた状態で、慣れた手つきで箱をゆすると薄緑色の煙草が頭を覗かせる。好みではないが航はそれを手に取り、シガーライターで火をつけた。途端、一瞬だけ頭がぐらつく感じがしたものの、彼にとって慣れた感覚はすぐに体に馴染む。
 煙がこもらないようにと反応したセンサーによって換気がなされるが、航はそれを切って窓を開けた。夏特有の湿気を多分に含んだ重い空気が車内を駆け巡る。昼間であればうんざりするような温もりを伴った風だっただろうが、日暮れ過ぎの、それも夏の終わりともなると、風は昼間の衣を脱ぎ捨てて、軽やかな身のこなしで肌をなでていった。
「私の年齢、覚えてるんでしょ?」
 鼻の奥がひんやりするような匂いを嗅ぎつつ、姉弟は煙草を吸った。
 穂乃花の時間は既に、航のそれと交差することが出来ない。彼女が実年齢の通りに振る舞ったとて、それは穂乃花が地球に残してきたものとの隔たりを如実に知らしめるだけだった。
 姉の時間は航たち地球の時間の外側を進み続ける。
 その中での唯一の交差点が、八月三十一日だった。
 航は充分にニコチンを吸い込み、紫煙を吐き出しながらぽつぽつと話した。
「……姉ちゃんさ、帰還日がどうして今日なのかって本気で考えたことある?」
「本気って?」
「先遣隊には学生が多いから、宇宙に出たのが結局夏休みの始めだっただろ。それを先遣隊の時間の基準点にしたから、ちょうど夏休み最後の日を帰還日にしたって話」
「……本気で考えるとかあるの? それ」
 ある、と言って航は備えつけの灰皿に長くなった灰を落とした。
「俺ね、八月三十一日にしたのって、人の目から遠ざけるためなんじゃないかって思うんだよ。こっそり帰って、こっそり宇宙に上がってもらうみたいな。今日が夏休みの最後で、まず高校生ぐらいまでの目は反らせる。あと学校勤めの人間。俺とかね」
 穂乃花は表情を消して航を見つめた。
「成人以降は論外。暇人は大抵遊んでるし、それで言ったら大学生もだな。結局、働いて稼ぐ必要がなくなったから、勉強はまるっきり自分だけのものか酔狂かになる。帰還者にかかる目はほとんどがそこで除外されるんじゃないか」

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