れんげ草




※2010/8/29「このはなずかん」さんへ寄稿
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 教室の壁にかけられた時計が四時を指すのを見て、勇人は重かった気持ちが不安定な重みを残して、ふっと軽くなるのを覚えた。閉じた携帯を開いてみても、やはり時刻は夕方の四時を指している。時間を確認するために見たわけではなかったし、誰かからの連絡を期待して見たわけでもなかった。何もないことを確認したかった。それで、この不安定な気持ちがもっと軽くなるかと思ったが、心の底に澱となって残るだけである。見なければ良かったという小さな後悔を押し隠そうと、勇人は再び机に突っ伏した。
 こうして時間が過ぎるのを待つのも、我ながら馬鹿馬鹿しいと思う。廊下を伝って吹奏楽部の練習が聞こえ、一つだけ開けた窓からは運動部の元気な掛け声が風に乗ってやってくる。その風は春の匂いを絡ませていた。嫌いな匂いではないが、今は喜んでその匂いを楽しむ気持ちにもなれない。
 どれもありふれた日常を過ごしている中、勇人だけが日常から追い出されているようだった。
 全てが上滑りして、全てが自身を拒絶しているように聞こえる。もっとも、そんなものは勇人の被害妄想でしかないことも、重々承知しているから、はっきりと嘆けないのが虚しかった。
「……時間、なっちゃたもんな」
 教室には既に誰もいない。にも関わらず、勇人は小さな声で呟いた。そして、「仕方ないよな」と続ける。こんな言葉は卑怯な自分を納得させるだけの道具であり、それを自らが口にすることで、心中では否定してきたことを現実の下に晒すことになるのだ。大きな声でなど言えない。卑怯を認める勇気もなかった。
 もう一度携帯を開き、今度は受信メールのフォルダを開こうとする。わざわざカテゴリを分けるのが面倒で、全てのメールはこのフォルダの中に入っていた。だが、どこにどんなメールが入っているのか、勇人にはわかる。わかるからこそ、フォルダを開けずにいた。
 時計は四時を過ぎている。溜め息もつけずにいると、不意に背後で教室の扉を開ける音がした。驚いて振り向けば、やはり驚いた顔で同級生の洋子が見返し、勇人の顔を確認するや安心したように息を吐いた。
「……何だ、岸本か。驚かさないでよ」
「俺、そんなに気配なかった?」
 勇人は洋子に見られないよう、携帯を畳む。
 洋子はわら半紙が何枚か挟まれたファイルを手に、自分の席へ向かった。廊下側一番後ろの勇人と、窓側の洋子の席は丁度、一直線上の位置にある。

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