aereo;3──epilogo


 静かな昼だ。基地のパイロットは既に全員出払っている。格納庫は閑散としたものだった。
 空っぽの格納庫にはいつも冷たい風が吹いているように見える。今はアヤセの機体だけが残っているが、やはり風は冷たい。
 アヤセの機体。自分の機体。ほんの数日前にはミワの機体だったもの──そしていずれは廃棄になると言われたもの。
「……よう、暇人」
 向こうからタカナワが歩いてくる。確か司令官に呼び出されていたはずだ。
「君も暇人だ」
「お前の方が暇そうだ。自室謹慎じゃないのか?」
「さあ」
 こんなにいい天気なのに、部屋に詰め込まれては窒息しそうだ。地上に繋がれているというだけで、既に死にたい気分なのに。
「痴情のもつれだとよ」
 タカナワは隣に立って、煙草をふかした。
「違う」
「だろうと思って、そう言っといた」
 タカナワの吸う煙草がうまそうに見えた。
「煙草、くれる?」
「俺のはニコチンきついよ」
「いい、それで」
 一本もらう。火をつけようとするタカナワを遮って、自分でつけた。一口目はむせて、二口目でようやく味わう。あまりうまくはなかったけど、誰かの煙草を吸いたい気分だった。
「やっぱりきつい」
「じゃあ捨てろよ」
「機体の廃棄処分はいつ」
 タカナワは作業服のポケットから紙を出して、渡した。作業日程表は簡素な字で予定を告げる。
「一週間後。調べて、解体するんだ。俺は容疑者候補だから外された」
「悔しそうだね」
「俺が調整して、最高のパイロットが乗ってた機体だ。中身をよそ者に見せてたまるか」
「潜り込めば?」
「監査が来る。そんな危険を犯してまでやりたくないね。お前はどうなの」
「さあ。……飛べなくなるのは嫌だと思う」
「ミワが死んでもその程度か。それともミワだからか」
「ミワを撃ち落としたのが私だから。他の奴に撃墜されていたら、きっと許さなかった」
「許さない、って」
「もしミワと戦う機会があったら、私が撃墜しようと思っていた」
「狂ってる」
「そうかな。パイロットにとって最大の賛辞だと思うけど」
「俺としては、無事に戻って戦闘データをくれることが最大の賛辞さ」
「空ではそんなこと考えない。どうやって撃って、どうやって散るかだ」
「饒舌だな。いつになく」
 タカナワに指摘されて、アヤセは少し驚いた。自分は言葉に酔っていたらしい。それは無理からぬことだ、と笑おうとしたが、出来なかった。
「ミワは事故死か?他殺か?それとも自殺か?」
「事故死なんかじゃ喜ばない」
「じゃあそれは抜きにして」
「どっちだと思ってる?」
「俺?さあね。自殺かもしれないとは思ってる」
「何故?」
「どれだけ腕が良くても、あいつはやっぱり人間だからさ。人間にしかなれないし、空に居続けることは出来ない」
 黙って聞いた。人間にしかなれないのは、誰にでもわかることじゃない。ミワはもう、その真意を知ることは出来ないが、少なくともタカナワにはそれがわかっている。だから彼はいつでも、機械と人間の間に居続ける。
「私はまだ飛べる」
「そうだな。ミワもいなくなったことだし、エースはお前だ。司令部もそう簡単に手放さないだろう。すぐに戻れる。体力は維持しとけよ」
「わかった」
「お前はどう思ってる?」
「さあ。でもミワは笑っていた」
「それだけ?」
「うん。それだけでいい」
 タカナワは黙った。自分も黙った。
 格納庫から流れ出る風が、温かくなってきている。
「お前、飛べなくなったらどうする?」
「……どうかな。崖から落ちてみようとは思う」
「最後に飛ぶってか」
「そう。飛んで、後は水の中に落ちればいいから。出来れば長く飛んでいたいけど、ビルの上からだと地上に落ちるしかないし」
「そうだな。そんなに地上が嫌か」
「嫌じゃない。でも戻らなくていいなら、戻らないよ。そんな機体が出来るまでは、飛んでいたい。水の中に落ちるのは痛いかな?」
「痛いと思うね、一瞬だけ」
 タカナワは煙草を踏み潰して消す。
「ミワは基地内で一番正常なんだとさ。それはここでは一番異常ってことだと、俺は思うけどね」
 格納庫に入ろうとするタカナワに聞いた。
「仕事?」
「寝る。寝てないんだ」
「そう」
「お前の機体、廃棄処分を免れないか嘆願しとく。お前も嘆願書を書けば、更に効果的だな」
「わかった。ありがとう」
 タカナワは苦しそうに笑った。
「おやすみ」
「おやすみ」
 空に向かって、煙草の煙が立ち上る。雲が消えるように、ふっと途中で流れた。
 その向こうには青空が広がる。目を閉じて、コックピットにいるような想像をした。大丈夫、また空の中に落ちていける。
 日程表で紙飛行機を折った。片手ほどの回数しか作ったことはないけど、ミワの指先を見ているだけで覚えてしまった。そして、ミワの紙飛行機はあまり長く飛ばないのも知っている。
 羽根を広げ、機首を空に向けて、放つ。
 明日もいい天気になりそうだ。絶好の飛行日和。
 紙飛行機はどこまでも飛んでいく。
 ミワのように落ちることはなく、高く、高く、どこまでも。

 いつまでも、高く、高く……


FIN

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