うろの中


 灰色の空に白い影が飛ぶ。冬空独特の澄んだ空気の向こう、高く濁った空を小さく切り取る白は優雅な曲線を描いて松の木にぶつかった。
「……ああ」
 その白を追い掛けていた黒髪の少年が残念そうな声を出す。背負っていたランドセルをずるりと落とし、地面で彼を待つ紙飛行機を手に取る。
 外気に蓄えられた湿気を吸った紙は、触れるとしどけなく体を折った。今日は雪でも降るのだろうか。
 手の中でうなだれる紙飛行機に溜息をぶつけていると、松の根元に口を開く大きなうろから笑い声が聞こえた。
「無駄だよ。無駄、無駄。それで何度目だい。もう両手じゃ足りないよ」
 じっとりと睨み付けたうろの中では彼と同年ぐらいの坊主頭の少年が頬杖をついて寝転がっていた。
「馬鹿だなあ、崇史も。諦めは人間の得意分野だろう。さっさと見せておくれよ」
 崇史と呼ばれた少年は紙飛行機を握り潰して、うろに投げ込む。それを手でなぎ払い、笑い声を大きくした少年に向けて崇史は鋭く言い放った。
「しぶといのも得意なんだよ。そこまで言うならてめえがやれ」
「やなこった」
 少年は頬杖をやめて組み合わせた腕の上に顎を乗せる。
「おれはここから出られないんだよ。お前だってわかるだろ」
 崇史は嘆息し、少年に一瞥をくれてやると踵を返してランドセルに向かってしゃがみこむ。
「わかるさ。お前、そうやって十何年もその中にいるんだからな」
 うろの中の少年から見る崇史の背中がけぶり、一瞬にして大きな背中へと変わる。屈んだ足の隙間から見える黒いランドセルも、少しくたびれたデイパックとなった。
 少年は微かに眉をひそめる。
「やっと俺が見えたかよ。いい加減、自分で届ける方法覚えろ」
 崇史は面倒そうに息を吐くと、デイパックから取り出した白紙の便箋を器用に折り、紙飛行機を作る。
 それを見ていた少年はにんまりと笑った。
「お陰で飛行機の作り方は上手くなったじゃないか。初めはそりゃ、悲惨なもんだった」
 まるで感謝しろと言わんばかりに少年は声を張り上げる。うろで反響して余計に大きく聞こえる声に対し、崇史は静かに少年を見据えた。
「あほか」
 仏頂面で少年に向かって足を踏み出す。かさり、という朽ちた葉を踏む音に少年は肩を強ばらせた。
 その頑なな態度に一瞬は顔をしかめた崇史だが、小さく息をつくことで気持ちをなだめて片膝を折る。
──まったく、世話の焼ける。
「いつまでもこんな所にこもってないで、出ろ。ここはただ寒いだけだ」
「やだね。外は恐い」
 見上げる目には真実、怯えが滲む。
 うろの中から窺う外はさぞ眩しく、目に痛いことだろう。指先をかすめる風は少年にすれば熱風に等しく、だが、日陰しか知らぬ少年にとって、それらに抱く感情は未知への恐怖と紙一重の羨望だった。
──大丈夫、わかる。
 目の前を行き交う異世界に対する気持ちは、道を歩く上で見つけた暗がりに抱くものと似ている。
 怖く、その先がわからない。だから興味がひかれる。
──わかる、わかるけども。
「出もしねえで何言いやがる」
 口早に言い切ってから手にした紙飛行機を空に向けて投げた。
「……あ」
 鼻を微かにくすぐった香りに引かれるようにして少年の体はうろから出て、顔を飛行機に向けたまま追い掛ける。その顔は笑みに満ちており、やがて小さな背中は冬の空気に溶けて消えた。
「……やれやれ」
 思わず頭にやった手の辺りから甘い花の香りがする。姉の化粧台から拝借した香水だが、春を待っていた彼には効いたようだ。
 花の香りは春の香り、という安直な考えもあながち間違っていなかったらしい。
「ずっと居座られても困るんだよ」
 デイパックを拾いあげ、松のうろを振り返る。ここ十年、枯れたと噂されていた松の暗いそこには青々とした光を放つ、小さな芽が出ていた。
 本当はずっと春を待っていた冬が、春への手紙をようやく届けたのだろう。




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