番外編 王城狂想曲



 廊下の角へ至る度に恐る恐る様子を窺い、階段へ至るごとに耳をすませ、怪しげな気配には相応の警戒心を以て、三十六計逃ぐるに如かずの精神よろしく一目散に逃げては新たな道筋を模索する。まるで戦場における偵察任務のようだが、これが外から小鳥のさえずりさえ聞こえてくる平和な城の中での出来事なのだから、時折、現実に戻ってはイークは果てしない脱力感に襲われるのだった。自分は一体、何をしているのだろうか。
 一国の王が仕事もせずに追いかけっこなど、人には見られたくない姿である。特に、と思いかけて、イークは一瞬、表情を消した。あの忌々しい賢者は既に長い眠りについているのだったか。
 あちらが目覚めるのが先か、こちらが死ぬのが先か、不毛な競争の末にお互い相見えるような未来があるのなら、やはりあの腹の立つ顔と口調で馬鹿にするだろう。考えただけで腹の立つ話だが、虚しい想像でもあった。その時にはもう、見知った人間は誰もいない。共に戦った者も、求めた人間も。
 鬱屈とした気持ちが段々と蓄積されていくのを感じ、イークは自分らしくないと大きく息を吐いた。そうすることで溜まりこんだものを一気に吐き出し、現在、自分がやるべきことを眼前に引き戻す。
 イークは炊事場に来ていた。昼食が終わり、休む間もなく夕食の支度に入る炊事場は、いつでも賑やかだ。広い炊事場の中を縦横無尽に人が行き交い、鍋から沸き立つ湯気の向こうからがなり声が聞こえ、調子のいい音があちこちから聞こえてくる。そこかしこからいい匂いが漂い、これまでの出来事でいらいらとしていたイークは、その普段通りの光景にほっとしていた。
 扉のない戸口にイークが立っていると、その姿に気付いた小間使いらしき少年が、きょとんとした顔で見上げてくる。
「……何か用ですか?」
 城には本当に多くの人間が働いている。そのため、末端で働く者の中には、自らが仕えている王の顔を知らない者も多い。この少年もその類だろうが、屈託なく見上げてくる姿が微笑ましかった。
「ああ。侍従長はいるか」
「……ちなみにどちらさまで?」
 名乗らないイークを不審者と見なしたらしく、少年は怪訝そうな目を向けてくる。
 イークが適当に答えようと口を開いた瞬間、炊事場の奥から大声が響き渡り、大柄な女がばたばたと荒々しい足音で駆け寄ったかと思えば、いきなり少年の頭を叩き飛ばして無理矢理に頭を下げさせた。
「申し訳ございません。この者は数日前に入ったばかりでして、とんだご無礼を……」
 震える語尾や、一斉に動きを止めた皆の様子に何かしら感じるものがあるらしく、少年はそれまでのくだけた雰囲気を押し込め、緊張したように体を強張らせた。

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