番外編 王城狂想曲
この部屋に逃げ込む際、合鍵を持っていないイークは鍵を壊して入ったため、閉めた扉のドアノブには椅子の背もたれをはめて、回らないようにしている。その扉の向こうでは陛下、と呼ぶ声が通り過ぎていった。この声はアートである。丸い体がぱたぱたと廊下を走り去る姿を思い浮かべ、イークは安堵する。これが馬面のバルカートであれば、王城内でひたすら体力勝負を強いられたに違いない。書簡管理の長ではあるが、足の速さだけは兵士にも負けないのがバルカートの強みであり、顔の長さと合わせてイークに馬と言わしめる所以でもあった。
そのバルカートの姿は外でイークを呼ぶ、イスカートと共にある。元文官長のイスカートはその眼鏡さえも重いのではないかというほど小柄で、あれは場合によってはバルカートが担いで走るのではないだろうかという懸念を抱かせる組み合わせだった。眼鏡は伊達ではなく、彼は目がいい。
──外に出るのは得策ではないな。
数多の戦場を駆け回ったイークが、武官と文官のまとめ役である元総官長だったアートや、元文官長のイスカート、書簡管理長のバルカートとの逃走劇に負けることは、これまではあり得ないことだった。彼らの年齢から言っても、イークの武人としての経験から言っても、逃げ足の点ではイークが上である。
それが、このように追い詰められて逃げ隠れする羽目になるとは、何かしらの裏を疑っても良さそうだった。
これまで、と回想出来るように、彼らとの逃走劇は幾度となく王城で繰り返されてきたものである。それは引退した彼らを再度登用してからというものの、日常茶飯事とまではいかないにしても、もはや習慣的な行事とも言うべき頻度で繰り広げられていた。
アート、バルカート、イスカートの三人はベリオルがいた頃、家臣の質を底上げする目的で、既に引退して老後を過ごそうかという所をイークが再び呼び戻した。イーク自身が認めるほどに彼らの才能は抜きんでており、それを老後の蓄えと共に屋敷の奥で腐らせておくのは勿体ない。加えて、当時の家臣の質というものは、それほど良いとは言えなかった。
腐敗を一掃しても、新たな膿がどこかで必ず生まれる。例え、イークが強権を振るったとしても、どこからか絶えず生まれ来るものだった。そういうものなのだと、いくらかは諦めて付き合っていたイークだが、さすがに自国の情報を他国に流されたとあっては我慢の限界である。どれだけイークが強硬な盾であっても、内側から矛を向けられては敵わない──ならば、その矛を諌める綱が必要だった。
それが、アートら三人である。
「小人の賢人」と称されるほどに深い見識をアートは備え、バルカートはそのアートでさえ驚くほどの記憶力を持つ。その二人も及ばぬほどの調査能力を持つのがイスカートだった。
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