第三十章 暁の帝国
『……我は、決してお前たちが憎いわけではない』
大きな手は力強くアスを引き寄せ、ぐんぐんと上方へ連れて行く。
近づいていく水面を見つめるアスの頭には、これが最後とばかりに、ヘイルソンの声を伴った混沌の声が響いていた。
『その愚かしさも浅ましさも含め、愛しいとも憎いとも思うのだ』
だから、と囁くような声が優しくなる。
『いつまでも我は眠り、お前たちが己の手で時を掴み、世界を導くのを夢見ていたい』
海流もその激しさをおさめ、輝く水面には太陽が映りこむ。
──ああ、帰るんだ。
『……お行き、『器』の子。世界が待っている』
やがて、空が見えた。
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心地よい眠りを誘う波の音に従おうとする意志と、体を包む砂の感触から逃げ出そうとする意志が拮抗する。どちらにも従いかねて目を開けると、眩いばかりの陽光が目を突き刺した。僅かに残っていた眠気も一気に払拭され、アスは目を細めて顔を横に向ける。そこでは同じように体を砂浜の上に横たえて眠るライの姿があった。
全身びしょ濡れで、胸の上では羽根飾りが力なく広がっている。
「……目、覚めたか」
眠っていたと思った瞼が薄く開き、小さな声でライが問うた。同じように小さな声で答え、アスも顔を空へ戻す。
「いきなり飛び込むなよな。俺だってそこまで泳ぎが得意なわけじゃないんだから……」
「……まさか、ついてくるとは思わないよ」
顔を空に向けたまま、ライがむっとしたように返した。
「俺以上に泳ぎ下手な奴が言うか。一人で何でもかんでも決めやがって、様子がおかしいと思ったら……おまけに途中で気い失うし」
「だからごめんって」
「……謝ってないだろ」
しばらく小声で言い合いをすると、アスは大きく息を吐いた。
「疲れた……」
これにはライも嘆息と共に「俺も」と同意する。
全身が重い。あの荒波の中を抜けて来たというのもあるが、それ以上に多くのことが終結を迎えたという感覚が、二人の体を更に重くしていた。本当なら軽くなるのかもしれないが、知らぬ間に気負っていたものが下りて、体が本来の重さを取り戻したように感じる。
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