第三十章 暁の帝国
花のように広がる白い服の中で彼は穏やかな笑みを浮かべていた。全てを納得し、己の結果に満足したような表情も、段々と影の中に取り込まれていく。
アスは下ろした手を強く握り締めた。これでいい、と言った声が耳奥に残り、出来る限りの笑みを浮かべて彼を見送る。涙で送るべきではない。
ヘイルソンの体を飲み込みながら、影はゆっくりとアスの目の前へ集束し始めた。まるで広げた裾をかき集めるかのような動作で、一つの塊になっていく。
ぼんやりとそれを見つめていたアスの頭に、あの不思議な声が語りかけた。
『帰りなさい』
頬に水の感触が戻った。そう思うと同時に、髪を揺らす海流も本来の強さを取り戻し始め、四肢に冷徹なまでの冷たさが忍び寄る。
どうやら、全てが終わりに近づいているらしい。
自分を取り巻く膜が段々と薄まっていくのを見回していると、上方から光がやってくるのが見えた。陽光のような強さはなく、むしろ小さく弱弱しい。だが、それは激しい流れに巻き込まれながらも、自身の位置を見失わずに、ただひたすらにこちらに向かってくる。
──あれは。
光と思ったのは、海へ僅かに差し込む陽光を反射したものだ。近づくにつれて、微弱な光を放つそれが淡い金髪であるとわかる。
暗い海を切り裂く小さな光──その持ち主の胸から、羽根飾りのついた首飾りが飛び出していた。
かつて、アスがライとの絆と共に失ったはずのものだった。
『お前の場所へ』
語りかける声にヘイルソンのような低い声が混じり、反射的に振り返る。
『時を繋ぐべき者のところへ』
それまで、周囲の水の流れに左右されなかった体に圧力が戻った。
『帰りなさい』
途端に、体を繋ぎとめていた力から解き放たれ、爆風に巻き込まれたかのような凄まじい威力で影の前から弾き飛ばされる。一瞬にして姿を小さくした影はしばらくアスの行く末を見守るかのようにこちらを見ていたが、やがて、アスの手を取る大きな手の存在を認めると、その巨体をくねらせて暗闇へ溶け込んでいった。
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