第三十章 暁の帝国
これらの流れは定めとして位置づけられ、破ることは叶わない。
──わかっている。
アスの意志がどれだけ否定しようとも、『神子』という存在が持つ意志は『器』への回帰を望んでいる。長く離れた子が親元へ帰るのを望むように、そして親の存続を願うように、心の底で『神子』の意志が声をあげるのだ。
何故帰らない、と。
その声を否定し続ける一方で、『神子』の意志もまた理解しかけている自分がいた。
わかる。帰る所のない自分には、帰る所が見つかった喜びも、それがすぐそこにある嬉しさもわかる。そして、そこへ辿り着けない悲しさも知っている。
『器』を破壊しようと思った時、共に滅びることが出来ればいいのではと、ふと思った。
そうすれば『神子』も自分も、納得出来るのではないか。
『刹那的な思考だ』
考えを読み取ったかのように、影が首をもたげる。
思考、と人間らしい言葉を、生物ですらないものが使うのが、妙におかしく感じられた。
『定めを破ることは出来ぬが、流れを変えるつもりはあるか』
初めて、提案の意を込めた言葉が告げられる。アスは顔を上げた。
──なにを。
『流れを。そこにいる天の子を我へ渡す代わりに、少しだけお前たちの融通を通してやろう』
目を見開くアスの横で、ヘイルソンが大きく息を吐くのを感じた。抵抗するでもなく、どこか納得した風の様子に見上げると、目を伏せたヘイルソンがアスを見下ろす。
紅い瞳が柔らかく微笑んだ。
「それがいい」
大きな手がアスの左手を取る。意図せず、アスの中にある数多の記憶が彼の方へ流れていくのを感じた。
「……これでいい」
ふ、とヘイルソンの体が離れる。手を伸ばしかけてアスはその手を下ろした。
『定めにない命を奪った償いはせねばならぬ。共に、そうするだけに至った理由を我は知る必要がある』
水の揺らめきにあわせてヘイルソンの美しい金髪が揺れ、暗闇の中で映えた。
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