第三十章 暁の帝国



 水中にいることに変わりはないものの、体の中の空気を逃すまいと堪える必要もない。二人は地上と同じ状態で、黒い影と改めて対面する。

 影が大きく体をくねらせた。

『さても、外が騒がしきと思うて顔を覗かせてみれば、まこと珍しいものを見る』

 溜め息のような声は体中に響き渡った。

 高くもあり、低くもある。老人のような声でもあり子供のような声でもあるそれは、人の声とはかけ離れた響きを伴っていた。

 アスを掴むヘイルソンの手から、ふっと力が抜ける。何かを悟ったような表情で影を見つめていた。

 心臓が大きな音を立てる。

──では。

『一つは天の子、一つは『器』の子。共に見ることが叶うとは、相も変わらず流転の多き外よ』

 この世界の始め、全ての始めにあって、強欲な人間を戒める為にたった一度だけその腕を動かし、『時の器』を破壊して四季と老いを与えた存在。顔を覗かせたという言の通り、この姿は本来の姿から切り離した一部のようだ。

 本当に現れた、と驚くと同時に、何をすればいいのか言葉が浮かんでこない。

 だが、アスの動揺も何もかも、それは知っているかのように言葉を次ぐ。

『遥か昔に葬ったはずのこれが再び胎動を始めた時は呆れたものだが、しかしどうして、『器』の子はこれを破壊したい』

 影が体を動かし、二人の様子を探るように漂う。

『派生物は本来なら大本へ帰り、その一部となって生きることを望むものだが、お前は一部となる以上のことを望む。大義は結構だが、分不相応という言葉を知れ』

 ちくりと釘をさし、影は徐々にその範囲を広げていく。

『お前は帰り、そしてこれの一部になるよう運命づけられている。我はそれを破壊せしを唯一許されし者。定めを自ら破ることは叶わぬ』

 アスは僅かに顔をしかめた。声が指摘するところは正しい。アスが『時の神子』として本来担うべきは『時の器』の創生であり、破壊ではない。それは指摘された中において「帰る」ということで、混沌はアスの回帰を阻止することが己の役目だと言っている。

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