第三十章 暁の帝国
だから、アルフィニオスは白紙の神書を書いたのではないか。
未来を見るだけの己が、未来に生きる人々を否定せず、その可能性を試すために。
アスの剣を弾き返したヘイルソンが僅かに目を丸くするのを見つつ、アスは乱暴に剣を振り被り、再び剣が交わる。
「血が流れれば人は悔やむことを覚える。誰かがいなくなれば悲しむことも知る。あんたの言う幻想が鏡になって過去や現在を映せば、人は足元を見る術を覚える。幻想を通して皆が歩こうとしているのに、あんたは……!」
頬を雨以外の雫がつたわった。
「あんたはいつまで立ち止まってるつもりなんだ!」
──これだ、という確信があった。
反射的に口にした言葉だが、これがヘイルソンの真実だ。
そして事実、彼の手から力が抜けている。目を丸くしたままアスを見つめる顔や体に動きはなく、言葉から受けた衝撃が彼の全てを止めていた。
否、アルフィニオスが死んだ時から、ヘイルソンはその歩みを止めていたのだろう。
周囲の足並みに揃えることなく、ただ過去を見つめ、現在にある自分とそこへ連なる未来を憎み、同時に、未来へ歩む全てをも憎んでいた。
アルフィニオスが死んだから、そして彼へ何も出来ない自分がいたから、これ以上歩みを続ける必要はないと、その足は止まってしまったのだろう。そうして感情に任せて憎しみを育て続け、他を隔絶し、あらゆる一切の事象から己を切り離して完全に立ち止まったのだ。
それは本人が意識するしないに関わらず、ヘイルソンが自身の心を守るための術だったのかもしれない。それほどアルフィニオスの存在は大きかったのだろうが、同じように、ヘイルソンの心もまた、彼が憎む人間以上に脆かったのだろう。
過去を見つめる背中をずっと見ていた者がいたにも関わらず、彼は最後までその視線に振り返ることはしなかった。
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