第三十章 暁の帝国



 その上、アスはこれ以上戦うことを望んではいなかった。

 剣を抜いたのもヘイルソンと対等に話をする場を作れればと思ってのことで、彼の所業に怒りを覚えこそすれ、更に戦いを続けることは無意味なことに思えたのだ。

 何度目かの攻撃をどうにか受け止め、雨で濡れそぼる前髪の向こうからアスを睨む紅い瞳を、やはり何度目かに間近にする。そこに宿るのは紛れもなく憎悪であり、剣に込められる力もアスを殺すためのものだ。

 だが、同時にその憎悪はヘイルソン自身へも向けられているように思えてならなかった。

 ソンが言った言葉が蘇ってくる。

──解放してあげてくれ。

 アスは顔を歪め、渾身の力を込めてヘイルソンの剣を弾き返した。雨でぬかるんだ地面に足を取られながらも、双方、距離を置いて対峙する形となる。

 『時の器』の力にあてられた所為か、左腕を襲う痛みが段々と激しさを増していた。そこへヘイルソンの猛攻が加わり、柄を握る手が僅かに震えている。すべりやすくなった柄を握り締めるだけで精一杯なものを、アスは再び剣を構えた。

 解放の二文字が、こんなにも重く感じたことはない。ソンの意志は痛いほどよくわかり、彼から受け取った記憶も心も鮮明にアスの中で生き続けている。だからこそヘイルソンへの怒りも息をひそめ、倒さずして解き放つ方法を必死に探し続けていた。

 しかし、その度にあの紅い瞳がアスを射抜くのである。憎んで憎んで、憎しみぬいた末に心を壊した瞳は、時々にアスの動きを止めた。

──あまりにも、深い。

 ヘイルソンの憎悪は深く、アスの言葉も寄せ付けないほど、彼の心を絡め取っている。

「『欠片』も持たず、わたしを倒す算段でもついたか」

 声が間近に聞こえたと思った瞬間、ヘイルソンの顔が目前に迫り、慌てて剣を構えたアスに素早い攻撃が見舞われる。片手でも重い一撃は、完全に不意を突かれたアスの剣へ更に重く圧し掛かった。ぎい、と交わった剣が悲鳴を上げる。

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