第二十一章 影の在り処
「さぼりの常套句にされると厄介だからな」
突然、脇から聞こえる低い声にライたちが肩をびくつかせる。
そこでは鍬を片手に農夫よろしく布を頭に巻いて、長い黒髪を器用に束ね上げたイークが立っていた。土に汚れた姿といい、剣を農具に持ち換えた姿といい、リファムの王城で目にした威厳も国王としての風格もあったものではない。なのに、やたら鋭い眼光がやはり只者ではないことを思わせて、ちぐはぐな印象を与えた。
アスと共に渓流に落ちたことは知っているが、どうしてここで農夫の真似事などしているのだろうか。
皆の疑問など気にも留めず、オッドはやんわりと微笑んだ。
「ご覧の通り、監視の目が厳しくてな。国王ともなると目の光らせ具合が尋常ではないから困る」
その足元では水まきに使われたらしい桶と勺がある。未だ水が残っているのを見ると、水撒きの仕事半ばでここへ来たようだ。
大股で歩み寄り、オッドを見下ろしたイークが反論する。
「そうでなくては国王は務まらんからな。お前が王でなくてほっとする」
「わしは国王などというつまらぬ職に甘んじるつもりはないよ。この自由な職が気質に合っている」
「隠居暮らしが長引いて頭まで沸いたようだな。ようやく表舞台に引き上げてやったのだから感謝して欲しいものだが」
「では今度はお前がわしに感謝する番だのう。ほれ、欲しいと言っていた労力だ」
にっこり微笑んでバーンを示す。段々と雲行きの怪しくなっていく展開に逃げようとしたが、その退路はイークの盛大な溜め息であえなく断たれた。
「逃げても無駄だぞ。この周囲には一切の集落も街もない。ついでに人通りもおそろしく少ないから、にわか隠居暮らしが体験出来る」
「いやいや、オレは隠居するには早いから」
「苦労は買ってでもするものだ。怪我人と女子供はオッドが案内してくれる。その他は私についてこい」
イークに逆らえるだけの気迫の持ち合わせもなく、ハルアとジャックとカラゼクを残した男衆は市場に連れられる豚よろしく、イークの後にすごすごとついていく。
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