第十五章 岩窟の処女
ふと心細くなって、イルガリムを見上げる。意志のはっきりした黒の瞳がアスを見据えた。
「わたしは行けない」
だから早く行け、と言外に急かされているようで、アスは小さく息を吐いて幕をくぐった。
──賢者の前で再び見えることが出来れば、お前は少なくとも度し難いほどの馬鹿ではないということだ。
岩肌が間近に迫る暗闇を歩いていると、イークの言葉が蘇った。
今なら、少しは自分を見直してくれるのだろうか。アスはそう考えて止めた。どちらにせよ、あの男は笑いそうな気がする。
人力で掘ったのだろうが、暗い中でも足元がおぼつかなくなる程の悪路ではなかった。靴越しに感じる地面のおうとつは極めて少ない。ここへ至るまでに見た岩屋の数々からして、掘削技術の高さはグラミリオンのそれを凌ぐだろう。
「その通り」
突然、岩全体から老婆の声が響き渡る。黙々と進めていた足を止めて壁に触れてみるも、何の変化もない。
頭に直接語りかける形なら、自分も嫌な感覚を伴いながら経験済みだが、岩全体から声が響くなど初めてだ。岩屋の中を反響するのとは違う。この岩屋を構成する岩全てから声が染み出しているように聞こえる。
「いい例えだ。だが人を待たせるのは失礼だよ。早くおいで」
同じ、ゆったりとした口調で老婆の声が響く。
──心も読めるのだろうか。
賢者というからには、それなりに類稀なる能力が備わっているのだろう。小走りに明かりへ向かいながらそんなことを考えたが、これに対しての反応はなかった。
足音と、自分の荒い息しか聞こえない。真実へ向かう道は意外と物寂しい。イルガリムの恭しい態度からするとかなり大切にされていることはわかるが、これでは遠ざけているようにも見える。
これが、アスが本などで目にした賢者の現実なのだろうか。
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