第十三章 幾多の夜 一つの朝
二人の会話が聞こえていたわけではないだろうに、人の表情を見る力に長けているのだろう。サークが不安げな目でカリーニンを見るのをあえて無視し、アスの顔を覗き込んだ。
「行くぞ」
静かな一言である。号令にしては覇気がなさすぎ、サーク達に向けた別れの言葉にしては感傷がなさすぎた。
だが、これでいい。
アスは有無を言わせぬ力に促されるようにして立ち上がり、寝室に置いていた剣と二人分の外套を携えて戻る。旅支度をしながら、カリーニンが準備を速やかに整えていくのを見て、彼はもう、ここを出る時期を見計らっていたのだと知った。
ずっとここにいていいはずがない。暖かな場所は心地よいが、今はそれに目を向ける余裕などないのだ。
アスにも、そして『時の神子』に関わる全ての事にも。
「すまんな、世話になった」
「せめて片付けぐらいしてほしいもんだけどね」
軽口を叩くジルの明るさが救いになる。幕を上げた店先へ向かう間も口を閉ざしたままのヴァークとサークには、少し申し訳ない別れになってしまっただろうか。彼らとの生活が楽しいと思ってしまった自分を戒めるかのように、アスの黒い剣が重みを増す。
「アス」
顔を俯かせていたアスの手をジルが握る。
「私ね、最初からあんたが『時の神子』だって知ってたんだよ」
ジルはふふ、と笑った。
「私にだって精霊は見えるんだ。一応はね。あんたの周りで彼らが『時の神子』だ、って何度も言いながら喜んでるもんだから、そりゃ面食らったよ。あんな顔、見たことないもの」
「喜ぶのか?」
聞いていたカリーニンが口を挟む。
「笑ってるんだ、そりゃ喜んでるんだろ。何が嬉しいのかちっともわかんないけどさ。でも、そんな顔をさせる人間が悪い奴とは思えないし、実際、あんたはそんな奴じゃない。──私はそう思う」
- 319/862 -
[*前] | [次#]
[しおりを挟む]
[表紙へ]
0.お品書きへ
9.サイトトップへ