第十三章 幾多の夜 一つの朝



 それでも、とアスを抱きしめる手に力を込める。

「……大丈夫だ。もう大丈夫だ。いいな?深く息を吸え。お前は大丈夫だ」

 半ば呪文のように繰り返し繰り返し大丈夫と呟くカリーニンの声がアスの耳に届いたのか、それまで暴れていたのが嘘のように大人しくなり、やがて僅かに震える深呼吸を繰り返す音が響く。

 それを聞いたジル達もようやくテーブルの下から這い出て、カリーニンの顔を見た。困惑気味の顔は自分達の顔を見ているようで答えを得ることは出来ず、次いで、ようやく落ち着いたアスの顔を見る。

 大きく見開いた目からは涙が零れ、あらん限りの力を込めて押さえたのであろう側頭部に薄い掻き傷が幾筋も見える。その傷を覆う夕陽色の髪も汗で濡れていた。

 あれほど苦しんでいたにも関わらず、気を失わなかったのには敬服を通り越して悲しさを覚えた。苦しい時は苦しいと、助けを求めてくれてもいいのに。

「……アス」

 ジルが助け起こすと、アスは頭を押さえたまま緩慢な動作で起き上がった。涙は途絶えることなく、穏やかな呼吸に戻ったアスの紅潮した頬を流れ続ける。

 頭を押さえる手をジルが持ち、ゆっくりと下ろしてやると、これで本当にアスは我を取り戻した。何度か深呼吸を繰り返して後、涙を拭う姿を見た時には誰もが胸を撫で下ろしたものである。

 粉々になった食器類や倒れたテーブルらを片付ける一方で、僅かに無事だった鍋やカップでメルケンが気付けに、と酒を少し垂らしたお茶を作る。それを飲むアスの姿を見て、アス以上に泣きそうだったサークも落ち着きを取り戻し、しかし、心配なのか、イスに座ったアスの傍を離れない。

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