第十一章 その手のひらに



──どうして。

 何を、誰の言葉を聞いてもアスの心には届かなかった。あるいは届かぬように自分で阻んでいたのかもしれない。どちらかといえば後者であったように思う。

 その言葉を発する誰もがアスの事など知らず、勝手なことを言っているとしか思えなかったからだ。その点で言えばジルはその最たる例だが、どうしてか彼女の言葉にのみアスの心は素直に開かれる。

 どうして。

「何かね、あんたは傷を負って痛くても走ろうとするように見えるから」

 斜陽が川の流れを赤く燃え上がらせる。それを眺めるジルの横顔もまた、赤く照らし出されていた。

 すっと通った鼻筋は意志の強さを思わせ、これが「母親」というものの強さなのかと考える。「母親」を知らないアスにとってその顔は新鮮に映った。

 教会にいた時、母親代わりであったシスターもやはり代わりでしかなく、彼女らが「母親」としてアスの目に映ることはなかったのだ。

 だから、今初めて目にする「母親」という女性はアスが知る新たな言語であり、存在であった。

 ふと、両手に視線を落とす。手のみならず、肩までこびりついた魔物の血は既に乾燥し始め、わずかな風でもさらさらとアスの体を離れていった。その向こうにはあまり良い血色とは言えない肌が覗く。

──痛い?

 痛いとはどんな感覚だったか。手を伸ばす相手ももういない自分が感じることの出来るものなのだろうか。

 剣しかない自分が、人を斬った自分が、感じることを許されるものなのだろうか。

 爪が食い込むまできつく握り締めた両手から、またさらさらと赤い破片が舞い落ちていった。


+++++


「うん、似合う」

 早朝のおぼろげな光が遠慮がちに差し込むテントの中で、腰に両手を当てたジルは満足そうに頷いた。その横ではサークが感嘆の息を漏らしている。

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