第九章 遠い家
「わたしも」
炎の向こうでティオルが口を開く。ひどく穏やかな口調は一瞬、許されたのかと錯覚させるが、目に宿る憎悪が消えることはなかった。
熱せられた空気によって髪が舞う。炎の中で弓を構えるティオルの姿は美しく、毛先が火にあてられてちぢれても厭わない姿勢は敬服に値する。それほどまでに憎いのか、とアスは痛む左腕をおさえた。
心臓が脈打つように左腕が震え、そのたびに鈍い痛みが体に走る。過度の衝撃を受けると、痛くもない部分まで痛くなるものなのか、と、アスはやけに大きく聞こえる雨音を聞きながら考えた。
「あんたと一緒に死ね、ってことらしいわね」
静かな声が炎の音にかき消される。ぎい、と弓のしなる音が、その声よりも大きく聞こえるのが不思議だった。
今、弓をつがえているのはかつての馴染みであろうか、敵であろうか。
馴染みの顔をした敵であろうか。
──信じていたのに。
半ば一方的に離された手を求めるのも馬鹿らしい。そこに懐かしさを求めるなど滑稽極まりない。
信じて切り離されるぐらいなら、もう誰も信じなくていい。
誰もいらない。
「行こう」
小さく呟いて、ティオルは矢を放った。炎を切り裂いて、矢がこちらに向かってくる。
ひゅ、と空を切る音がしたと思った瞬間、アスの体は強い力で横に投げ出されていた。
背中をしたたかに打ち付けて顔をしかめていると、痛みに呻く時間も与えず大きな手がアスを立たせる。
「全く、何か策があるのかと思って見てたら何のことはない」
馬鹿か、と吐き捨てて、カリーニンはアスに外套のフードを被せる。炎はなめるように小屋をうめつくし、はぜる音と共に沢山の木端が落ちてきた。熱気で肌が焼けそうなものを、火の粉を被ってはひとたまりもない。
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