第九章 遠い家
アスは動けなかった。
ティオルの気迫に押されたわけでも、死ぬのが恐くなったわけでもない。
──二度目だ。
今、アスを言及しているティオルと同じ目を知っている。あの時も雨で、しかし、涙は流していなかったように思うが。
誰かを信じて、誰かを守ろうとして、そして切り離されたこの痛みは二度目だった。前はあれほど痛く感じたものだが、もう痛みはない。ない代わりに愕然とした。
ティオルだけは違うと信じていた。彼女だけはアスの本質を見出して認め、違うものは違うと断言してくれる。神子だからと追うことも憎むこともせず、ただアスをアスとして見て出迎えてくれる。昔と変わらず接してくれる、その暖かさが好きだった。
だが、アスを睨むティオルの目も言葉も、アスが見ていたティオルの姿とは正反対にある。好きだった笑顔も温かい手も、今やアスに向ける刃ととって変わっていた。
──二度目など。
どこかで二度目などあるはずがないと信じていた。あるいは信じ込もうとしていたのだろう。信じていた誰かに切り離される痛みなど、早々出会うことなどもうないと楽観視していた。そんな自分が愚かに思え、考えそのままにティオルを信じた自分が滑稽に見える。
混乱を極める頭に射し込む光は変わらず、矢の輝きだった。
「あの時、死んでいれば良かった」
高ぶる気持ちをおさえて、ティオルはぽつりと呟く。
「死んでいれば、こんなことしなくて済んだのに」
重いものが腹の底に落とされる。淡々とした口振りは、気を抜けば耳に届かなそうで、思わず耳をすませた自分が腹立たしい。
死んでいれば──誰が?
どちらを指すでもなく呟かれた言葉は、暗にアスを責める。大きな塊となって心に落ち込み、そこから暗いものを吐き出し続けた。
目の奥が痛い。痛みは次第に熱さへと変わり、目から溢れ出た。滲む視界の中でも、ティオルの目は憎しみに満ちている。
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