E組生徒全員分の採点済みのノートを抱きかかえ、落とさないようにと気を配りながら歩く廊下は短いようで長く感じる。紙束の重さが骨が軋みそうなほど腕に痛い。 ふとノートの束の最上段で、みょうじなまえの名前が目に留まる。途端、言葉にならない声が出た。 そこにあるのは彼女の名前で、彼女のノート。本人がいるわけでもないのにどうしてこうも自分はどぎまぎしているのだろう、なんて考えたときだった。
「磯貝君、磯貝君。私のこと見える?」
ひらひら振られる小さな掌だけしか伺うことはできなかったが、それが誰のものであるかは声を聴けば簡単に認識できた。 みょうじさん――。彼女の名前を見ていただけに心を見透かされているような気がして、心臓がどくりと跳ね上がる。
「見えない、けどわかったよ。みょうじさん」 「おぉ、すごい! さすが磯貝君だ」
感激の声を上げて隣に並ぶみょうじさんだが、手伝う気などさらさらないようだ。 明らかに自分を下回る腕力の女の子にそれを期待しても仕方がない。せめてこの重荷からだけでも解放されたいので彼女より先に教室に入ってから、どさりと雑な動作で教卓に乗せた。 肩越しにみょうじさんを振り向けば、愛らしい満面の笑みを浮かべて寄ってきた彼女は何をするかと思えば、俺の手を取り撫でながら、
「働き者の手ですね」
――なんて言ってくる。 彼女は非常に影響されやすい性格だからこういうときの反応に困るのだ。今度は童話でも読んだのだろうか。
「もう少し頑張りましょう」 「言うと思った」
つまらなそうに唇を尖らせるみょうじさん。 もうその手には乗っかりません。
「じゃあ働き者の学級委員サマには私からご褒美をあげるね」
ころん、と掌に転がったのは宝石みたいにきらきら輝く小さな飴玉。 子供騙しじゃあるまいし、と苦笑いをしながら口に放り込んでみると一粒サイズの甘さが疲れた腕を少しだけ癒してくれたようだ。
「言っとくけど学校にお菓子の持ち込み禁止だからな?」 「えー食べといてそういうこと言う?」
不満そうに頬を膨らませる彼女の頭を撫でて誤魔化した。 甘い菓子とゴシップの匂いにどこからともなく殺せんせーが現れたのは、言うまでもない。
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