クラウディーガールには眩しすぎる

さよならガール、もういない


何から、どこから言えばいいんだろう。姿を見せるのはそろそろであろう待ち人を地の果てから見つけ出そうと背伸びをし、自分が5分も早く来てしまったのが悪いというのに持て余す5分をはらはらと握り潰す。
呼び出して、言葉を届けたい相手はもう時期ここにやって来る。だというのに私は全然整理できてなどいない。
ゴールドだったらこんな時、言うことなんて決まっていなくとも感覚で突き進んでしまうのだろう。恐怖なんて知らないで――否、自分が怯えて不の感情に囚われてしまっては後に続く人々が迷うばかりだから、統べる太陽を演じてでも戦闘は譲らないのだろう。
成ろう――彼に。
これは最後のまじないだ。
このまじないで自分を押し出すのは、これが最後だから許して欲しい。

「大変だぁあ、なまえ!!」

そのとき場に飛び込んできたのは他でもない黄金の待ち人の声音であった。
間を置かずに放たれる「そいつを……捕まえろぉお!!!」という絶叫と共に空を指さすゴールドが、なまえに頭上を見るよう促す。視線の先の鳥の影。短く小さな翼を非力ながらに忙しく羽ばたかせることりポケモン、オニスズメが淡い桃色の風船を引っ提げてふらりふらりと飛び去ろうとしていた。

「ププリンがそいつ、オニスズメに攫われた!!」

え、と再びオニスズメを目に入れる。

「そ、んなっ……、どうしようゴールド!?」
「どうしようじゃねぇ、お前がやるんだ、なまえ。オレがやれるだけの援護はしてやる。だから、」
「わっ、わたし……!? たすける……? うそ、そんなのできっこない、私トレーナーじゃないんだよっ!?」
「出来る出来ないじゃねぇ。やるんだよ。お前が!! 今! あいつを、助けるんだ!」
「……っ」

動け。動けよ。動くんだッ!
心臓の砲声がばくんと全身に強く打ち付けられる。
どうして自分は迷っている。自分は何を躊躇っている。怖いからだ。怖くて怖くて怖くて、怖くて仕方がないからだ。

「あいつのおやはお前だろう、なまえ!!」

ずんっ、とゴールドの言葉が私を捲し立てる。違うよ、あの子のトレーナーは私じゃないよ。図鑑が記した真実は現実で事実なのだ。ひとたび栓を緩めれば泉の如き勢いで流れ出して止まらない思考に、脳内はマイナスの方へと沈んでいく。深海深くの波に身を流されそうな私を引っ張り上げてくれるのは眼前の強い陽光だけ。
掴もうと、届かないと知りながら手を伸ばす。次の瞬間、ぐいっ、と沼底から引き上げられた。
魔法はきっと解けてはいない。現実に霧をかけるあの呪文はきっとまだ確かな力を持ってここにある。私は彼だ。今の私は彼なのだ。わたしにできないはずがないだろう!
放たれる。呪縛から。地面を蹴ったその足で、絡みつくネガティヴ思考をも蹴っ飛ばし、振り切って。無茶苦茶なフォームの、溢れ出る感情が入り乱れたぐちゃぐちゃな表情でのスタートダッシュはお世辞にも美しいとは言えないけれど。

「ププリンっ!!」

不格好な体勢からの裏返った私の絶叫に大きなまんまるい青の瞳がうるりと揺れてこちらを捉えた。

「私、私がっ、助け、るから……! 信じて……っ! こっちっ、手ぇ……伸ばせぇえ!!!」

状況と一致しない言葉を口走ってしまう。天と地の距離、私の短い腕とププリンの小さな手など精一杯に伸ばし合ったところで互いに触れることすらできないのに。
どうせ私なんて駄目なんだ、と黒いもやもやとした感情がくるぶしに巻き付こうとする。

「なまえ、技だ! とりあえずなんか指示出せ!」
「わ、技って、この子どんな技覚えてるのーっ!?」
「あー、ちょっと待ってろ。そいつの使える技は……」
「やっぱいい! 確かプリンの進化前だよね。だったら使えるはず……。ププリンッ、う、“うたう”!」

夢界へいざなう産声にも似た子守唄が空に響く。ポケモンがポケモンに対して放つ技とは思えない、奏でられる旋律はやはりまだ未熟な音色だが、心地良く耳朶を擽る凶悪な歌は術者の周囲を支配するようで、その美しさたるや。巻き添えを食らうものかと私は自身の舌を噛んで欠伸を殺す。
先に闘志を鞘に納めたのは一番の標的であるオニスズメだった。安らかに目を閉じ、翼は役割を放り捨て、地球上の重力に馬鹿正直に従って大きな嘴の小さな鳥が降ってくる。
次いで、ふわふわふよふよ。いよいよクライマックスを迎えるらしい歌声と共に空から降りてくるププリンの姿はさながら小さな妖精だ。
あの時もこんな風に抱きしめて上げられればよかったのにね、なんて相変わらずネガティブ思考は健在で。受け止めたププリンの儚さに怯えを感じ一度生まれたばかりの体躯を地に下ろす。

「あ……っと、だい、じょうぶ?」

つい数日前まで母なるポケモンが作り出した揺り籠の鎧に守られ、目覚めの時を願い眠り続けていたププリンと。風船を模した甘やかな薄桃色の幼体と対峙する、私の顔は緊張感に引き攣っていた。
びくびくと、恐る恐る、見る者にはらはらと不安を植え付ける動作で臀部を落としていき、私はププリンの手前で跪く。
開口し、戸惑い噤み、視線を泳がせ、唇を噛む。数秒してから意を決してププリンを眼で捉え、そして。旅立つ人の「いってきます」と同じくらいに、あるいはそれ以上に甘美な、待ちわびた言葉を口にする。

――私の、パートナーになってくれますか。

幼いププリンは不思議そうにくりくりとした目で彼女を見つめ、首を傾げる。差し出した私の手のひらに、ぴょんっ、と。ふわあり着地し、およそ1kgの身体を預けてにこにこと笑った。
おともだちが出来て良かったな。傍で見守っていた陽光の双眸の少年は眩しい日差しを仰いで目を細めるような微笑みを湛えていた。

「おーい、だいじょぶか、オニスズメ? まっさかなまえがここまで本気でやるとは思わねーわな。まずいな、こりゃクリスに怒られちまう」
「え……?」
「ん、あー、もうここまで来たら言っちまうけどさ、今の全部計算通りなんだわ。クリスっつーオレの仲間知ってんだろ? あいつにオニスズメ借りてさ。ププリン襲うよう頼んだってわけ。まさかここまでガチで叩き潰されるとは思って無かったけどよォ、成功だな」

間。
つまり彼の言うところではオニスズメは敵ではない、と。今までの騒動は全て自演で、自作で、フィクションであった、と。そういうことか。

「今日呼んだの、ゴールドに言いたいこと、あったから……なんだけど。……たくさん。聞いてくれる?」

言葉は何も返されない。代わりにゴールドは器用にも表情を少しだけ変えて肯定してくれた。
瞳を閉ざして覆い込む瞼の裏にウバメの森の木漏れ日と涼やかな風の香りを思い出し、回想に沈み込みながら自分は深緑の中に抱きしめられているのだと心に言い聞かせる。深呼吸で肺を巡回するのは街の色と薄い排気ガスに染められた、余り綺麗ではない空気だったけれど。
心を、放つ。

「ゴールドなんて嫌い」
「……は?」
「私、ゴールドのこと大っ嫌い。全然私のこと見てくれないから」

一度放ってしまえば後はもう楽ちんそのもので、寧ろ溢れて流れて止まらない言葉を押し留めることに精一杯なくらいだ。
かわいい女の子ばかり侍らせて、一番近くにいる私のことはまるで気づいていないみたいに見てくれない。目に映るには明るくならなきゃって思って、でも知っている中で明るく楽しい人と言えばゴールドくらいしか思い浮かばなくって。でも頑張っても私じゃゴールドにはなれなかった。真似しても、やっぱり私は欲深いからそれくらいじゃ満足なんて出来なくて、完全なあなたの模倣をしてみたかったけど、そんなの出来るはずもなくって。
諦めきれずに知っていくうち、不満を一人で壁にぶつけているうち、私は気付いたのだ。

「ゴールドの嫌いなとこ全部、憧れてるとこの裏っ返しなんだよ」

女の子を口説けるくらいの語彙がある。退屈させない話術がある。周囲を照らせる笑顔がある。ちゃらんぽらんさは緊急事態でも落ち着いていられる冷静さの証だ。

「ププリン育ててなんて言ってごめんなさい。私ちゃんと自分で懐いてもらう。ゴールドコレクションも捨てる」
「ゴールドコレクション? んだそれ?」
「こ、こっちの話。だから、さ。私が素敵な女の人になれたらでいいから、ゴールドの左手の薬指、予約させてくれる?」
「……は? ……ちょっと待て、それって、」
「ゴールドが好きなの。ゴールドとおんなじところに指輪つけたい。そうなったらコレクション、もう必要ない」
「お、おい。待て、なまえ。つかコレクションてマジでなんなんだ」
「自分で言うのも変だけど、私って結構お買い得だと思う。幼馴染だから何でも、な〜〜〜んでも知ってるし、浮気にも慣れてるし。嫌いな部分も全部ひっくるめて好きって人、一生をかけて愛せるって人、なかなかいないとおも――」
「だーから、待てっつーの!」
「……むむぐ。ふぉ、ふぉーうおぉ?」

ぱふ、色気も何もなく突き出された掌が口を塞いでしまってそこで言葉が詰まった。

「突然すぎんだ、お前。それになぁ、馬鹿、そーいうのは男から言うんだよ。なまえのせいでオレのプライド、丸潰れだぜ……」
「ごめんね。でもゴールドにプライドなんてあったの?」
「オイ!」
「えへへ」

こほん、と仕切り直すような咳払いを一つ、ゴールドはする。

「ていうかなぁ、お買い得はオレの方なんだよ。誰が貰ってやれんだ? こんなネガティブ。オレしかいねーだろ。責任、とってやんよ。ププリンの分までな」

にっこり、と自慢の白い歯を覗かせながら笑いかけてくれるゴールドは限りなくゴールドで、彼を模倣するなんて到底無理だと遅まきながら一つ悟る。同時に子供の皮を一つ脱ぎ捨てた。
心を覆う厚い暗雲すら割って私の気持ちの大事な部分に触れて来る。逃れられないそれは時にうざったらしいったらなくて、だけどやっぱりあたたかで、私は彼が大好きなのだとあっさりと伝えてしまった先程の言葉を噛み締める。
晴れ空の判定も、例え七割雲が敷き詰められていたって三割空がのぞいていれさえすれば晴れは晴れなのだ。
ゴールドに少し背中を押されて、自分でなんとか笑おうとして、そしてププリンのために全力で走る。後ろ向きなりに私は負けたりしない。
過去のゴールドのエールを自分との約束に、誓いに変えて。
彼を真似て笑ってみようとして、途中でそれをやめる。そして、ぶきっちょな、自分の笑みを頑張って作ってみた。


クラウディーガールには眩しすぎる fin.


2016/12/20
2017/01/12 rewrite
2017/05/12 add



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