クラウディーガールには眩しすぎる

どこにもない錯覚


クリスタル――大抵人はクリスと呼ぶ――のギアが着信音を立てたのはジョバンニ塾の子供達と戯れている真っ最中のこと。画面を一瞥すれば表示されている名はゴールドで、誰からー? 誰から―? と無邪気な問いを下から投げてくる幼児にはごめんねを言って。いそいそと場を切り抜け、通話を繋ぐと耳に押し当てると、どうしたの、珍しいわね。貴方が電話してくるなんて。生真面目な彼女は、普段なら欠かす事の無い挨拶をも友人だからとすっ飛ばし、電話相手のゴールドに用件を急がせた。

「え? 初めてあった野生ポケモンと絆を深めるコツ?」

初対面時のゴールドとマンタインがそうであったように、天運にでも恵まれているのか、クリスの中での彼は何かしらの運命的な出会いを通じて自ら捕獲を試みることなく仲間を増やした、という印象が強い。だから少し、そう、久しぶりの会話でそんなことを尋ねられ、意外、だったのだ。

「そうね、わたしだったら……まずは敵意はないって伝えて安心させるかしら」

電子音でそっくりそのまま象られた『具体的にどうやってだ?』は若干のノイズを帯びていた。

「一緒にいて、一定の距離は保つんだけど、何もしないの。相手が野生なら、そうね、目線を合わせて優しく語りかける感じで……何かそのポケモンが困っていることがあったら、協力してあげて信頼を築くわ」

野性の遺伝子を強く引き継ぐポケモンというものはとても繊細で、感情や行動に敏感だ。だが裏を返せばそれはこちらに敵意がないということにもいち早く気づいて貰えるということ。少し汚い手ではあるが利用するのだ、純な習性を。

「……嗚呼、そのポケモンにトレーナーか懐いている相手がいるのなら、その人に協力してもらうといいかもしれない。一緒にいてもらって、何もしない。やっぱり同じ空間にいて干渉しないって方法に辿り着いてしまうのだけど」
『やっぱ最終的には時間、なんだよな』
「本当に、そうよ。自分で捕まえたポケモンを懐かせるなら共に時間を過ごすことが一番だってわたしも思う。根気はいるけど、信用に変えられるものはないもの」

嗚呼、つい癖で諭すような口調になってしまった。こんな相談事をゴールドが持ちかけてくること自体が珍しいというのに、事情を知らないからって何も考えずに自分は。
受話器越しに息吹いたのか、ばりばりと割れるように響く深い呼吸。

「わたし達図鑑所有者からすれば、一緒にピンチを潜り抜けて、って感じだったけれど」
『言えてんなぁ。サンキュー、クリス。助かったわ』
「そう? なら嬉しい、けど」
『あんがとな。じゃ、切るわ』
「え、ええ。なまえちゃん……だっけ? によろしくね」
『ん、伝えとく』

途切れた通話に受話器を離すとそれまで会話に注ぎこんでいた意識が緩んで、日常の喧騒がどっとクリスの耳に押し寄せた。少年一人の声を片耳だけで浴び続けるよりずっと騒がしいはずなのに、どうしてか、寂しさ故か他の何かが胸に引っかかってそれに気づいていないのか、子供達の走り回る靴音も空間も寂しく静やかに思えた。
きっとそれは、自分の側にいつでも太陽がいてくれるわけじゃないから。慣れない光に浮かれてしまったから、影を忘れた目がそこら中を暗い景色と錯覚しているのだろう。
なまえ。金ぴかのおひさまを独り占めできる名前しか知らない女の子が、少し、羨ましく思えた。


2016/12/17



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