クラウディーガールには眩しすぎる

ヒーローになれない私


今より少し、若々しい母がいて。今より少し、背も体格も幼児のそれに近い彼と、それから自分が笑っていて。
嗚呼、夢なんだ、と。私は仕舞われたはずの昔の記憶を見ているんだ、と。他人の人生を達観でもするように、ただぼんやりと淡泊な感想を一つ握り込んだ。
思い出しついでだ、一つ過去を語っておこう。ゴールドと私の懐かしい思い出を。
出会いの日でも、心奪われた瞬間でもない。だけど強いて言うのなら。ただの少女がヒーロー気質な男の子に憧れを見た日、というのが良く似合う、これはそんな夢の記憶だ。

思えば悪戯な鴉の子に何か大事なものを奪われてしまったのは一度だけではなかった。
数年前のワカバタウン。届かない頭上の木の葉と、そこで偉そうに踏ん反り返るお山の大将のような黒鳥を仰ぎ、小さな私は水膜の張った瞳をうるうる揺らす。

「か、返してよ……」

嘴に咥えられたきらりと光るものを見据えて弱く言う。

「ねぇ……、返して……っ」

小さな拳を爪が食い込む程に握り締め、口いっぱいに空気を吸い込んだ。

「それ、わたしのだからっ! ――ひっ!?」

ばささっ、と威嚇代わりに奏でられた大きな羽音に怯み、体勢を崩した私はどしんと派手に尻餅をついてしまった。
背後の土が蹴り上げられて、背中で感じる人の気配。落とされた人影に振り向くと、金の眼と視線がぶつかり、そして声を投げられる。

「あーあ。おまえなにやってんだよ」

だいじょぶか? 涙目のまま差し出された手を取るとぐっと引き上げられた。
うん、と。だいじょぶ、と。実際はさして大丈夫でも無かったが。

「どうしよう、ゴールド……。あれ、取られちゃった」
「んー、ほんとだ。あいつこの辺りに住み着いてんだよな。おっし、任せろ」

発した任せろの言葉通りに当時はキューを通常通りに使用していたゴールドはすいすいすいっと木を登っていく。「返してもらうぜ」少しばかり気取った口振りで言い置き、幹にしがみついた腕とは反対の手のひらを伸ばす。と、自身の縄張りを汚されるとでも思ったのだろう、ヤミカラスの鋭い嘴による突きが赤いパーカーに炸裂した。

「いっ……だあああ――――っ!?」

手を滑らせ、足を踏み外し。一種のお約束である落ちる展開。危ない、と直感的に悟り、固く両眼を閉ざした私の手には、降り落ちる小さな装身具があった。
どっしーん、と派手な落下衝撃。
恐る恐る目をあけて、きつく結んでしまった拳を開く。そこにあったのは。
ヘアピン、だった。
黒い翼のポケモンに持ち去られてしまった、大事なヘアピン。他でもないゴールドから誕生日祝いに貰った、大切なもの。

「大丈夫……?」
「これくらいへっちゃら。よかったな、戻って来て」
「う、うん。ほんとに平気?」
「へーきへーき。心配してほしくてこんなことしたんじゃねーけど、オレ」

こてん、と首を傾けて黄金の双眸で笑いかける。

「あ、……えっと、」

――ありがとう。

たった一言を受け止め嬉しそうに笑う、その時の彼といったら。
いつから好きだったとか、何がきっかけでそれが単なる友情ではないと気づいたとか。大昔の事だからもう忘れてしまったけれど。輝かしく綺麗に笑むこの人に、幼馴染の情けを差し引いても誰かのために行動できるこの人に、私はきっと似合わないと、幼くして自覚したのはきっとこの日だ。
きっと彼に見合う女の子になるためには、私は私で留まっていちゃいけない。魔法使いの手助けに縋ろうとする自惚れの灰被り少女が硝子の靴の奇跡に恵まれることはあり得ない。
繋ぎ止めておくには彼の特別にならないと。そのためには他の子にはない気遣いや楽しい会話ができないと。できるようになるには、彼を知らないと。
でも友好関係に並んでストライクゾーン及び妥協ゾーンの広い彼を知る女の子はそれこそ星の数。つまらない女のハンディを背負う私だ、彼の全部を知らなきゃいけない。
彼自身になるつもりで知ろうとしなければ、いけない。
ジョウトを巡って、ついでとばかりに巨悪に打ち勝ち、両地方を統べる現チャンピオンに師事して、シロガネ山で修行を積んで。そうしてワカバに帰還した彼を見て、想いはより加速した。
見えないけれど感じ取れる、明確に引かれた境界線を女の勘とでも言うのか、胸を突き刺す痛みと共に知覚し、そして激しく焦躁した。
私の知らない景色をいっぱいに映して、私の知らない光までもを湛えるようになってしまった金の瞳は、もう見知った色では無くなってしまったから。
彼の聞くもの、見るもの、感じるもの。全て私も味わうためにはどうすればいい。
そんなの――彼に成るしか、ないじゃない。

彼に振り向いてもらいたくて、私との時間を楽しんでほしくて、だから知りたいと思った。最初はそんな、かわいらしくふわふわとした恋する乙女の模範的な発想。
だがいつからか。純な恋慕は消えてなくなり、彼の全てを知らないと気が済まない、一番に理解しているのが自分でないと納得できない、なんていう意地汚い独占欲にすり替わってしまっていて。
狂ったまま走り続ける自分自身は寄せ集めの理性で喚く脳の操縦下から離れてしまって、私はもう止まらない。


2016/12/12



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