不離のトラペジア / 逃走星のミスティリオン

レースドレスの瘡蓋を剥いで

ルームシェア中のアパートの目の前で停車したタクシーから這い出ると、肩で息をしているなまえちゃんを後部座席から引っ張り出し、そのふにゃりとした躰を支えた。ぐったりと脱力し、熱いばかりの躰をオレにすっかり預けている彼女に、「大丈夫だよ」「もうすぐだからね」なんて届いているかもわからない呼びかけを絶え間なく繰り返し、玄関までの道を急ぐ。
周期に乱れが生じたために、発情期の訪れは唐突だった。季節や気候の変動は体調にも影響をきたすから、オメガとしての性もそれらで簡単に揺さぶられてしまうのだろう。奇襲のようなヒートに崩れ落ちた彼女を、運良くオレが拾うことができ、今こうしてようやっと連れ帰ったというのが事の顛末だ。
もう一人の同居人であるゼロはアルバイトの予定に融通が利かず、とても抜けられそうにないから彼女を頼むと言伝てを預かっている。彼女が発情期に苛まれる期間はなるべくアルバイトも入れずにそばについていてやりたいと考えているオレたちだが、予期せぬ到来ともなればどちらも予定が埋まっている可能性だってあったわけで、オレだけでも帰宅できたのは不幸中の幸いだった。
オレは玄関の鍵を慌ただしく回し、入ってすぐの段差に彼女を座らせた。鍵をかけていると、その間にも座ることすらつらくなってしまったのか、なまえちゃんはぜえはあと上下する肩をマットに乗せて寝転んでしまう。
「なまえちゃん、家着いたよ。辛かったな。靴、脱がせるよ」
「は、う……ひろ、みつくん……ありがとう」
「気にしないで」
玄関で仰向けに寝転んだなまえちゃんの足からかわいらしいパンプスを脱がしていく。下品な酒の飲み方をしない彼女は例え酔ってもこうはならない。新鮮だけれどだからこそ鮮烈な哀れみに胸を締め付けられる。見ていて辛そうだからというのもあるけれど、熱が失せて正気に戻った後、きっとこの子は自分で自分を恥じるのだろう……。そう思うと余計に可哀想だった。
彼女が床の上でもぞもぞと身じろぎをする都度、掠れた声と吐息が零れて、スカートの裾が捲れて、腿もその奥も覗いて……フェロモンとやらに縁のないオレでも誘惑されそうになる。その肌を滴る汗の一滴一滴にすら嫉妬しそうだ。
オレは手は使わずに踵と踵を擦り合わせて乱暴に靴を脱ぎ捨てて、禄に揃えもしないまま、段差を踏み越えた。
「景光君、熱い……」
彼女を抱き起こすべくしゃがみ込むと、うっとりとオレの名前をくちずさんだなまえちゃんが熱い手でこちらの首を撫でてくる。指に力が込められるのは、頭を落とせという意味で、キスのおねだりに違いない。発情したオメガが求めるものなんて十中八九性だろう。しかし。
「熱い? 確かにだいぶ汗かいてるな。まずお風呂入ろうか」
敢えて察しの悪い男のふりをしたオレは、そのまま彼女を抱き上げる。
「景光君は私に発情しないから、好き」
姫抱きにされて、オレの首に獅噛みついてくれているなまえちゃんがぽそりと呟いた。
ベータ性のオレに、彼女達が醸し出しているという蠱惑のフェロモンとも、ただの酸素と変わらない。獣の本能を色濃く遺伝子に刻むオメガやアルファとは違い、本能的なやり取りの輪から爪弾きにされているベータのオレは、野性の熱病に苦しむ彼女を案じる事しかできない、傍観者だ。
しかし発情はしなくても興奮はする。例え彼女のフェロモンを知覚できなくても、その色めいた吐息や仕草は男を酔わせるには充分すぎるものである。
「零君に知られたくない。私、こんな、雌みたい。全部匂いでわかっちゃう、から」
「それで嫌いになる奴じゃないよ、ゼロは」
「私が嫌なの。誘惑なんかしたくない」
彼女のそれは、不本意で手に入れてしまった――押し付けられたにも等しい第二性だ。
アルファ、オメガ、ベータ。この世にある三つのバース性を幼馴染三人で全て網羅するとはどんな運命か。しかし純正のマイノリティは降谷ただひとりで、なまえちゃんも元はオレと同じベータだった。忘れもしない中学時代、或る男に純潔を踏み躙られた折に強制的に番わされた挙句、第二の性の転換を余儀なくされたのだ。後天的に変質したオメガであっても一生に一度しか番の契約を結ぶことができないという制約は一丁前に適用されるらしく、彼女は自身を虐げた男との関係から解放されても、オメガとしての特権には傷を負い、人生の路線をただただ発情期と戦わされる茨道に切り替えられてしまった。
厭わしい本能に焼かれ、正気を失う己を彼女は忌み嫌っている。溺れるがまま発露してしまえれば楽なのだろうが、理性の糸が引きちぎられないまま発情期に突入した折など特に哀れで、飢餓のような欲と、冷静さから生じる自己嫌悪の狭間で押し潰されてしまう。睡眠薬で意識を手放している間にオレとゼロとで抱いてあげるということだってあった。
玄関で誘ってきた彼女を拒んだのは、のちの彼女にそれを後悔させないためだった。
「食欲はあるか?」
「わかんない……」
「じゃあ一応食べられるようにしておこうか。お米炊かないと無いから……その間にシャワー浴びようね」
「ん……ありがとう、ヒロ君」
「少し待っててね」
彼女をリビングのソファに寝かせ、キッチンに立つ。無洗米を電気釜にさらさらと流し、水で満たして炊飯器にかちりと差し込んだ。その足で風呂まで赴き、タオルと着替えを脱衣所に用意して彼女を迎えに行く。
照明のある中で服を剥いてしまうのは女心に思いを馳せると忍びなくも感じられたが、ふらふらの彼女を支えたまま立って脱がせるのは骨が折れる。ソファの上に寝かせたままブラウスの釦を弾くと、なまえちゃんも覚束ない指ではありながら手伝ってくれた。こんなところで下着のホックに手をかけていると、まるで明るすぎるリビングでえっちしようとしているみたいで――いや、したことはあるのだけれど、それが思い出されて、面映ゆい。なまえちゃんは背中を座面から浮かせつつ、オレの首筋に抱きついてくる。
形を崩した胸がふるりと躰の側面に向かって流れていく。朱色を乗せた頬と濡れた瞳で上裸になり、生活感の漲るソファの上で息を乱している彼女に、腰のあたりがつらくなった。これは介抱、介抱なんだ、と暗示を掛けながら、手を休めずに脱がせていく。
スカートと太腿の半ばまでの丈のレギンスを脱がせると、クロッチにシミを作った下着が顕になった。途端に緊張を帯びる手で引き下ろすと、粘りのある透明なものが秘部と糸を引く。クロッチの内側に貼られたライナーによって堰き止められていた液が、べっとりとそこに居残っていた。汗も酷いが、股の汚れもまた負けず劣らずだ。
オレは裸にした彼女と、彼女から脱がせたものを抱えて風呂に向かう。乱暴に脱ぎ捨てた服を洗濯籠に突っ込み、お互い生まれたままの姿で浴室に足を踏み入れた。
ざらついたタイルに彼女を立たせて、洗面所に置かれていたバレッタで後ろ髪を纏めてやる。組んだ腕で胸元を隠し、もじもじと膝を擦り寄せる彼女の内腿をつうと早くも溢れてきた愛液が滴り落ちた。不埒な思いを過ぎらせた自分を咎めるようにシャワーヘッドを取り、栓を捻る。さぁぁっと囁くように流れ出す水が湯に変わる頃、握りしめたヘッドを彼女の震える肩に差し向けるのだが。
「ひぁぁぁっ……! や、やぁ……っ、よわっ……く、して……!」
「えっ、ご、ごめん!」
艷やかな嬌声をあげた彼女は耐えるように身を屈める。オレはあふたとしながらヘッドの向きをずらし、栓を反対方向に捻って水圧を下げた。
オメガという性別には恐れ入る。こんな日常的な刺激さえ性感に変えてしまうのだから……。
「気、効かなくてごめんな。これならどう?」
「ぁ……! やっ、だめ、だめ……っ! 止まって……!」
ほとんど勢いを失した、ちょろちょろと水を垂らすばかりのシャワーにさえもなまえちゃんはびくびくと過剰に反応し、ついには座り込んでしまった。負傷したかのように濡れた床の上に跪いて肩を揺らす彼女の前に、バスチェアをずりずりと引きずって持ってきて、そこに座るのを手伝ってやる。
「今日はもう休む?」
「私、汗臭いから……」
「じゃあ汗だけね。シャンプーはやめておこう」
この状態の彼女を湯船に浸からせるのはまずいと思って湯を張っていなかったから、シャワーの水を少しずつ洗面器に溜めて、それを傾けて少しずつその躰を濡らしていく。指を唇に押し当てているなまえちゃんはやはりびくびくと肩を揺らしっぱなしで、きっと刺激の量は先程とさほど変わらず、はしたない声をあげてしまうのを噛み殺しているのだろう。
「タオル……は、きつそうだから、手でもいいかな」
こっくりと頷くなまえちゃんの背中に、泡を乗せた手を這わせていく。
「あぁ、んっ! ごめん、ね……、変な声っ、出ちゃ、て……」
「気にしないし、かわいいよ」
「かわいくないっ……わた、し、こんななのに」
いつもはかわいい、好きだよ、と告げると瞳をとろりとさせるなまえちゃんだが、ヒート中に同じ言葉を囁いても必ずと言っていいほどそれを否定する。男からすれば性感以外の刺激に対して鈍くなり、性に溺れる幼馴染は過激なポルノにも等しい興奮材料とも言えるわけだが、不本意なオメガへの転換という背景を考えれば、彼女がヒート中の彼女自身や、それを肯定する言葉に拒否反応を示すのも無理はない。
「んっ、あっ……。やぁっ、ひろ、くんっ! 手、いやぁ……もっ、つらい、よ……っ」
「うん。簡単に終わらせるからね」
「ひっ、やっ……、やだ、きもちく、なっちゃうの、やだぁ……!」
「大丈夫……オレしか見てないから。誰にもばれない」
「言わ、ないで……れーくんに、内緒にして……っ」
「うん、言わない。オレとの秘密にしような」
石鹸の泡が潤滑油として働き、彼女の柔肌にオレの手を心地よく滑らせる。つるりとした瑞々しい果実の表面を洗うように、けれども敏感な箇所は避けなければならないから懇切にはしてやれない。
乳首も、触れるとくすぐったい脇や首もなるべく避けて洗っているのに、それでもなお快楽に追い詰められている。ただ背や腹を清めるだけの手でも、性器を突き上げられるのと変わらないくらいにびくびくと快楽に絆されて。哀れな躰だ、度し難い性別だ。
「うぅ……、ふあっ」
オレは椅子の上ですすり泣くように感じ入っているなまえちゃんの正面に膝をつくと、洗面器に手を伸ばす。再びそれにシャワーの湯を溜めて、何度かに分けて泡を洗い流すと、仕事は終わりだ。
「はい、終わり。頑張ったね」
頭でも撫でてやりたいところだが、今のこの子にはきっとそれすらも厳しい刺激に変わるやもしれない。伸ばすことの憚られた手は行き先を見失って、ひとまず自分の膝の上へ。
ゆうるりと、蝶が舞い踊るような速度でまばたきを落としたなまえちゃんは、オレと視線を交えると――そうすることが定めだったかのようにこちらの首筋に顔を埋めてきた。上肢を詰められると濡れた双丘がこちらの筋肉質な胸板との間に挟まれて、形状を平たく変える。すん、と彼女が鼻孔に酸素を通す音が鼓膜を引っ掻くので、匂いを嗅がれている事に気がついた。
「ちょ、嗅がないで、なまえちゃん。まだ洗ってないし、オレからは何も出てないから」
「ん……いいにおい、する……。ん、ふわ、ぁ」
湯煎にかけられたチョコレートみたいに、少しずつ形を無くしていった彼女の理性は、泡とともに排水溝に食い殺されてしまったのかもしれない。
ベータのオレには、彼女を酩酊させるような、本能に紐付けられた香水なんて纏えるはずもないのに、甘えん坊の子猫のように肩口にすり寄る彼女には、幻想のフェロモンでも夢見ているのだろうか。すりすりと頬ずりをしてくるまでは猫の戯れとして承服もできたけれど、かぷかぷと首筋を噛まれた暁には、危機感が悪寒の如く背筋を駆け上った。
「っ――、なまえちゃ、」
まずい、と思ってその華奢な肩を突き放す。引き剥がされた瞬間こそは恍惚とした表情であった彼女だけれど、すぐに我に返ったらしく、欲望の海に沈んでいた彼女の瞳が水面より上へと浮上して、そこに理性の像を結ぶ。とろけた自我に再び確かな形が与えられたのならそれが真っ先に描き出すのは自己の性への嫌悪と恥だった。
「……っ! あ……あぁ……や、ちが……。ごめんねごめんね、気持ち悪いよね、我慢するから、行かないで、そばにいて、離れないで。いっちゃやだよ、ひろくん……」
ヒートは情緒面にも作用するのか、親鳥と引き剥がされた雛鳥のように泣きながらオレに行かないでと何度も何度も懇願する。なまえちゃんのオメガ性を厭わしく思っているのはなまえちゃん唯一人で、オレもゼロもそれを理由に彼女を見捨てる真似はしないのに、まるで世界一の嫌われ者のような顔だった。
「違うよ。気持ち悪いと思ったわけじゃないんだ。ただ場所があれだろ、それだけ」
「でも……」
「本当だよ。なまえちゃんは……我慢するの?」
「えっ」
「なまえちゃんがいいなら、オレもしたい。ゼロには内緒な? 多分先にしたって知られたら怒る」
出ようか、と言ってドアに手をかけたオレを物欲しげに絡む手が引き止める。幸いシャンプーはしていないし、バスタオルにくるんで寝室まで運べばすぐに繋がれる、と考えた矢先のことだった。
「ごめっ、ごめんね、待てない……っ。すぐしたいの。えっちしたい、ヒロ君っ」
「ここで? 多分身体痛くなるし、ゴムないから全部はできないよ?」
「いいっ。ゴムなくていい、生でいいからして……っ」
――いや、それはちょっと。
着けずにするかはまた別の話として。とはいえこのままベッドに連れて行っても、何度も相手をする事になるのは目に見えている。ゼロが帰るまでにオレの精魂が尽き果ててしまう可能性も視野に入れ、一旦ここで何回か絶頂を味わわせてあげておくのも得策と考えられた。懸念があるとすれば、挿入を封じられるとオレが少し辛くなるという事くらいなものか。
正直、帰りのタクシーの中にいた頃から性器は形を変え始めていた。散々に彼女のあられもない声や姿にあぶられて、元の柔らかさを完全に損なったそれは、すぐにでも欲を吐きたがっている。でも。
「景光君……つらい、助けてぇ……。おなか、ぎゅってして、寂しいよ……。えっちしたい。せっくす、したい。中出していいから……」
正気ではないなまえちゃんの声は、オレの正気も道連れに剥ぎ取っていく。
ああもう、と八つ当たりのように蛇口をぎゅっと捻って、雨を降らせ始めるシャワーヘッドを掴んで、それを彼女に差し向けた。
「気持ちよくなっちゃうから嫌って言ってたけど、えっちするならいいよね」
「え――いやぁっ!? やっ、あっ、ひろみ、つく……。あっ、これ、だめ。ひゃぁん」
さぁぁ……、とシャワーは霧雨のようにその昂ぶった肢体を打った。毛穴のひとつひとつに仄かな刺激を満遍なく注ぎ、彼女という脆い器を満たしていく。
ヘッドを壁のフックに引っ掛け、彼女に降り注ぐように固定すると、その唇を奪ってオレも共に濡れた。ぬるいシャワーが真夏のとうとつな愁雨のように髪を梳き、頬を伝い、顎をなぞる。胎児の時代に帰るような安堵感を齎す人肌の水温の中、味わうなまえちゃんの舌だけが存在証明のように熱くて、それはきっとオレのも同じ。
水を溜めた鎖骨の窪みに吸い付いてみるけれど、この雨を真似たシャワーにキスマークの赤色も流されてしまいそうだ、なんて。そんな空想を転がす。きっと何をしてもなまえちゃんは気持ちよくなってしまうのに、それでも優しく触れることはやめられない。
雫を伝わせる胸を指と唇でかわいがっている途中、不意に思いついたオレはシャワーをまた手元に寄せた。硬さを持ち始めた先端を吸う口はそのままに、手で転がしていた方の先は掴んだヘッドから流れるシャワーの水圧で責めてみる。
「ひぁっ。あ、あぁ〜……っ」
「ん。ひもひいね」
もう片方の乳首を舌の上に置いたままそう喋りかければ、発声に瀕しての口腔の震えで彼女は追い込まれる。
「喋るのやぁっ。だめ、だめ……っ。きもちいのつよいっ。ひぁ、う……」
肌を叩く雫の一つ一つはかわいらしい刺激でも、それが幾つも束ねられたシャワーで乳首を狙い撃ちにされ、なまえちゃんは何度もその肩や腰をくねらせ、身悶えた。彼女が姿勢を変えるたび、口に食んでいる乳首が勝手にオレの前歯の先や上顎に擦れるし、シャワーの弾幕の中に囚われている方だって刺激を得る箇所や角度を変えるので、逃れるためのはずのそれは真逆に快楽の感受を手伝ってしまう。
シャワーヘッドを逆さまにして足の狭間にも水圧の悪戯を仕掛けてみたかったけれど、せっかくの愛液が流れてしまってはこの先の行為で痛めてしまう。栓を締めると、だらしなく開かれたまま、かくかくと笑っている膝を割り、ぬるま湯とは違う水質の液を湛えているそこに指先を這わせる。
「ふぁ……ひろくんっ」
「はは、べとべと。かわいい。一回いこうね」
もうとろけきった彼女はかわいいという形容詞を否定することもなかった。
恥骨を包むたぷたぷと柔らかい肉の丘を割って見つけ出したそこは、ぱくりとオレの指を食んでしまう。窪みを縁取るように掻き回してみると、すぐに挿入しても傷めそうもないくらいに広がっていて、嗚呼本当に性の受け皿になるためだけの性別なのだと再認識した。性の暴力に脅かされた挙げ句に辿り着くには、余りにも悲運な第二の性だ。
入り口だけでなく奥も挿入に耐えうるかを見極めるため、指を深めていくのだけれど。
「あ――っ!」
「え? いっちゃったの?」
椅子の上で背筋を弓なりにしたなまえちゃんが短く喘ぐ。もう達してしまったのだろうか。人が、生き物が、変わってしまったようにはやい。その後も指の付け根まで埋まるまで推し進め、中の余裕を引き続き確かめていこうとするが。
「やぁ〜っ! もうべとべとなのっ、すぐ入れて……っ! やだやだっ。ゆびじゃやぁっ! そんなんじゃ足りないよ……、ひろくんっ。ひろくんがいいっ」
「なまえちゃん……ちょっと頼むから変なこと言わないでくれないか。あんま煽らないで。ゴムないからしないって約束だろ?」
例え本能に言わされているだけ科白だとしても、色めいた浴室に垂らされるそれは、蜜であり、劇薬だ。
「やだぁっ。このままがいいっ。いまして、おねがい。生でして」
「落ち着いて。いっつも妊娠したくないって言ってるだろ。オレは逃げたりしないから向こうでしよう、な? ゼロが絶対ゴムしろって言ってるの、避妊以外にも衛生とか健康とかも加味しての事だから……君は発情期で忘れちゃってるかも知れないけど」
「妊娠、しないっ。しないの、私。いっかい、つがいにされちゃったから、あの人の子供以外できないの……っ。なか、だしてぇ」
「……っ、」
まだ無垢な少女だった頃のなまえを犯して、オメガに突き落とした男。一方的に番として契らせ、それが解約されたあとにも影響という名の影を残した身勝手な犯罪者。
番の契約を説明する場合、番となるアルファの存在をうなじを噛むという行為を通して、オメガにインストールする、という表現が最もわかりやすい。牙を剥き、うなじから自分の存在を入力すればいいアルファは相手を変えれば一生に何度でもそれができる、つまり複数の番を持てるのに対し、入力されて書き換えられる側の性別のオメガは一生の中でひとりしか相手を持つことが許されない。一度でも噛むことを許してしまえば、オメガの脳や肉体は噛んだアルファの色に塗り替えられてしまうから、以降は他に相手を持てない――例え、そのアルファに捨てられても。穢らわしいアルファの牙で契約と解約をされたなまえちゃんは、そんな番の持てなくなったオメガだった。
第二の性の性転換だけでも人生が大きく軋まされたというのに、番を得るという発情期への一番の特効薬も使えない。ただ自分の性を嫌い、呪い、けれども雄の精を不埒にも求めさせられる。男に乱暴された経験からオレたち以外の異性とは深い関係を築けない、可哀想な子。
番を得たオメガは、番以外との生殖では受精しにくくなるという。あの男との関係は解消されているとはいえど、妊娠に纏わる躰の状態は結ばされていた頃から続いているのだろうか。それともこの子の思い込みか。いずれにせよそれは可能性の話でしかなく。
「ひろみつくんおねがい。なんでもする……っ。なんでもするから、中に出してぇ。ちょうだい、景光君の精子、ちょうだい……」
なまえちゃんは普段は妊娠は嫌だと言うその口で、はしたなく子種をねだった。これが本音だとは思わない。思いたい自分もどこかにいるけれど、「私、発情期中は中に出してって言っちゃうかもしれないけど、無視してね」という以前の彼女の言葉を碇にして、理性の港に足を止め続ける。
「なんでもしてくれるなら……さっきみたいな辛いこと言わないで? オレとする時は幸せな事だけ考えてて欲しいな」
難しい話だとはわかっている。なにしろ過去は突然鎌を振る。オレたちの寝首をかくように脳裏に身を竦ませるような記憶を投影する。
オレだって未だに、どんなに美味しいフラペチーノに舌鼓を打っていても隣席の客が刺青を掘っていたら、舌に冷えた氷の温度以外知覚できなくなるし、大学の新しい友人に昔何があったのと問われると、それを明かしてもいいと思えるだけの信頼を寄せている相手だったとしても、意志とは裏腹に唇が青白くなり、凍えたように震えてなにも紡げなくなる。道端の鳩や野良猫の死骸も苦手だ。
ちゅぽん、と脚の間から抜いた指は、彼女の蜜を連れて酸素に触れた。指を濡らす彼女の興奮の証左を舌で拭っていくと、期待の眼差しがオレを仰ぐ。正直すぐにでも入れたい。オメガだのアルファだのといった幻想的な本能の繋がりを体感したことのないオレにだって欲はあるのだ。性欲は第二性にだけ由来するものではない。
「はやく……。もうがまんできないよ……」
助けて、抱いて、犯して、えっちして、と。手当たり次第にこちらを煽る言葉を投げて寄越してくるなまえちゃんに、心臓は喧しく肋骨を殴りつけていたが、しかしベータ故に誘惑に負けずに隣に立てるオレが、この子を慮らなくてどうするのか、とせめて互いに折り合いがつけられそうな案を唇に乗せる。
「ね、なまえちゃん、駅弁してベッドいかない? ここに入れたまま歩いたら……振動で擦れて気持ちいいと思うよ」
「ふ、うぇ……する……」
「じゃあ決まりだ。立てる?」
その腕を引いて濡れた床に立たせると、石鹸で洗ったばかりだというのに新しい汚れが股から膝にかけて伝っていく。とめどなく溢れる愛液を一瞬だけ目で追ってしまったが、はたと視線を己の下腹部に移ろわせる。股間の主張を二度ほど手で擦り上げて硬度を安定させると、高く抱き上げた彼女の腰を自身に突き刺すようにして下ろしていった……。
人懐っこくオレを迎えてくれる肉の壁は、あの煩わしい0.01ミリメートルの膜を取り除いただけで、鮮烈に温度や感触を味わえた。なまえちゃんは腕で肩に、脚で腰に、それぞれ夢中で獅噛みつくので、密着度が増すお陰でより気持ちがいい。大部分が彼女の中に埋まったそれを眼下に認め、本当に生でしているのだと実感すると、罪悪感と性器が同時に膨れた。
――はぁ、本当は中出ししなくても生でしちゃ駄目なんだよな……。ゼロにばれたらなんて言われるか……。
彼女という馳走を前に垂らした涎さながらのこの先走りにも精子は含まれるのだそうだ。
「あうっ……。入って、くる……。ひろ、くんのっ……生で、直接……どう、しよ……したこと無いのに、駄目なのに」
「そうだね。入れちゃった……。ほんとは駄目なんだからな。ゼロには内緒だぞ?」
「はぅ……んっ。ないしょ、する……っ」
「いい子」
なまえちゃんを抱えるのに精一杯で、頭を撫でてやれない代わりにその耳を唇の間に挟み、食む。オレに身を委ねる彼女が、ぴく、と閉じた瞼を震わせると、胎の中も仄かに蠢くのでこちらも息が詰まった。
ただベッドまで運ぶだけでは痺れを切らした彼女を泣かせてしまいそうだったし、繋げたまま歩いて、寝台に膝を付けたところで一度抜いてゴムを着けるという心算だ。がらがらと浴室のドアを開け、タオルも手に取らず、廊下に水溜りや濡れた足跡を残しながら寝室への道を辿る。着いたら抜かなければならず、直接は繋がっていられないのだと思うと、自然と歩みは緩やかに変わった。
「ぁっ……んっ、ひぁ……」
歩を進める都度、なまえちゃんの吐息がオレの鎖骨を焦がしていく。いいところに触れるとすぐにつま先が丸まり、腕も獅噛みつく力を強まって、全てを詳らかに物語った。躰は雄弁だ。
「ひぁんっ」
「……っ」
とちゅ……。と、ペニスの先端が彼女の奥を引っ掻いたのが、わかった。行き止まりで亀頭を撫でられ、甘い締め付けに扱かれて、オレも目尻の筋肉を引き攣らせてしまう。早く突きあげたい、押し当てて、擦りつけたい。歩幅を狭めて楽しんでいる余裕もなくなり、オレは早足に寝室を目指し始める。歩く速度が引き上げられたことで振動もより派手なものになったのか、なまえちゃんはびくんびくんと肩や膝を跳ねさせながら甘く喘いだ。
三人で使っている大きなベッドの端に彼女を背中から下ろし、繋がったままその上に跨る。シーツの海の中央に移動する時間すら惜しくて、そのままマットレスに手をつき、色欲に茹で上がった彼女の瞳を見下ろした。
「はぁっ……ごめ、一回出して良い?」
「いいよ。なかっ、なかにちょうだい……っ」
ずり、と先端の下の段差で臍の裏を引っ掻きながらそれを引き抜き、なまえちゃんのお願いを跳ね除ける。
「それは駄目。お腹の上、かけていい?」
「嫌っ! やあぁ〜っ! あかちゃんほしい。ひろくんのこども産みたい」
「ゼロにも同じ事言うくせに」
「んあっ!」
精の出を促すようにペニスの根本から先端へと押し上げるように擦り上げて、もう片方の手ではなまえちゃんの恥丘に隠れた核をきゅうきゅうと構ってあげる。自身を擦る手が何往復めかを数える頃、とぷりと白濁の飛沫を迸らせた。射精に意識を奪われ、堪らず刹那的に身を竦ませると、それが陰核を構う手に力を込めさせたのか、一拍遅れて彼女も達する。ぴゅ、と鈴口の噴くものを可愛らしい臍の窪み目掛けて垂らし、それが躰の側面に向かって伝っていくのを眺め、笑う。
「一緒にいっちゃったね」
「ん……っ、ふぁ……。や、つぎ、わたしでいってほしい……。ヒロ君中でいって。中で出して」
「だぁ〜め。ゴム着けようね」
「う〜……やだぁ〜」
駄々をこねるなまえちゃんをぺろりと舐めるだけのキスで静かにさせて、芯を失いきっていないペニスを片手で握る。甘噛して捕らえた舌の先をちゅうと乳児のように吸い、彼女が零す、鼻にかかってふわふわとした声を餌に、自身に熱を呼び戻していく。再び勃起すると、二、三枚纏めて抜き取ったゴムのパッケージを立てた膝の横に置いて、一枚目の封を破った。
シーツはシャワーで濡れたオレたちの水気を吸い上げてぐっしょりと濡れていたけれど、どうせ拭いたところで、滲む汗を受け止めて同じ状態になっていたはずだ。
「や……、いらない、それいらないのに……」
「良い子だからちゃんと避妊しような」
「あぁっ、うっ」
触れ合わせた性器を、つぷり、と繋げると、なまえちゃんはようやく聞き分けが良くなった。
「はや、くぅ。早く来て……。ひろくんの、ぜんぶ、いれて。も、我慢やだよ……」
手招くように勝手に退いていく浅いところの肉がオレを最奥へと導く。ずりゅ、とカーテンを開くような容易さで開いていくそこは、はやく、はやく、と言葉だけでなく全身でオレを急かしていた。
「ん。もうちょっ、と――ほら、入った」
腰を小刻みに揺らしながら中へと進み、あと少しというところでぐっと勢いをつけて潜り込んだ。途端、奥を軽く突かれた彼女は腰をシーツから遊離させる。ちょろくなった肉体はまた達しているのやもしれない。
「ふゃっ、あ……。すき。好き好き、ひろくん。もっといっぱい、んぁっ、すき」
譫言のように好きだと繰り返す彼女は愛の言葉とその意味をきちんと一致させて紡いでくれているのだろうか。男を乗せるための呪文として唱えているだけな気がしてならない。
より高みを覗きたい一心でこちらに手を伸ばしてくるなまえちゃんに覆いかぶさり、抱き合った。オレは行為そのものよりこういったキスやハグ、それに些細なふれあいが好きだった。好きな人が傍にいてくれる事を温度や肌触りから実感したい。両親を殺されて愛情を貰い損ねて出来た溝を埋めて欲しい。
汗に光る肌を寄せて、皮膚の細胞と細胞をぴとりと合わせ、大人だけに許された一体感に浸る。先程オレが臍の周辺に撒いた精子が互いの間でぐちょりと潰されて、泡立つのだけが玉に瑕。ゼロのものは平気でも自分のものは出したら最後、汚らしく思えるなんて不思議な話。
「ひ、ろくっ、噛んで……」
「ん――」
うなじは躰をひっくり返さなければ届かないから、手近な首筋をかぷかぷと甘噛してあげた。
「ひぁぁ〜っ」
なまえちゃんはそれをしてやるだけで悦びに打ちひしがれ、喉をのけ反らせてしまう。早くも気を遣っているのだろうか。
彼女は今生でもう番は得られないし、ベータであるオレとでは元より番うことなどできない。それでも噛んでとねだってくるのは、祈りのような、見返りを期待しない儀式のなのか。
ヒートの助けもあり、雄に解放された躰は、乱れ突きのような滅茶苦茶な抱き方をしても痛がりはしないのだろう。けれどオレは慈しむように抱いた時の、まどろむように善がるなまえちゃんの顔がかわいくて好きだった。派手なまぐわいはこの後に帰宅するゼロに任せることとして、平素と変わらず亀頭を使って愛撫するように、熱い子宮との緩やかなキスを堪能する。
「ヒロ君、もっと……。それじゃ、……あっ、足りない、よぉ……」
「今日はずっとするんだろ? なら疲れないようにペース配分考えないと」
「んっ……。やっ……ふぁ、あぁっ……やぁっ」
喘ぎの隙間にいやいやをするなまえちゃんは、どうしても今欲しいらしい。
「じゃあ少し動くから、オレの事いかせてくれる?」
「うんっ。がんばる……っ」
息を上げる前に一度落ち着いてキスをして、髪を撫でた。それから絶頂に至るため、少しずつ動きを加速させていく。律動に瀕して揺れる乳房の、中央を飾る尖りをぱくりと口に含んだ。飴玉のようにそれを舌の上で転がしていくと、彼女は悩ましげに目を瞑りながら、オレの芯を締めてくれる。精液が尿道を伝ってせり上がってくるのがわかり、限界の訪れを強く意識した。
「はぁっ、きもち……。なまえちゃん、好きっていってくれる、かっ?」
「好き……っ。景光君っ、好き……大好き……!」
「ん、はふ……かわいい。キスしよう。ちゅーしながらいきたい」
「ん……っ」
だらしなく舌を覗かせた半開きの唇同士を重ね合わせ、唾液が溢れるのも厭わずにぐちゅぐちゅと互いの味を確かめる。しめ縄のように結んだ舌をじゅうと唾液ごと吸い上げ、飲み下すと途方もなく満たされた。彼女の口腔が干からびてしまうのではという程に涎を啜り、無味のはずのそれの脳天を衝くような甘やかさに酔いしれる。
キスを交わすさなか、強かにペニスを子宮に押し付けて、オレは果てた。潔く精を飛び散らせるそれを彼女の胎に埋めたまま、延々と深いキスを続けていく。膜に包まれた先端が最後の一雫を滴らせるだけになっても、口づけに終止符を打つことはせずにいると、次第にそれは硬度を蘇らせていく。
嗚呼、米はとっくの昔に炊きあがっているのだろう。
なまえちゃんの欲に塗れた声が鼓膜に染みた。
もっと――、と。とびきり甘美に。


将来を見越して鍛えている分体力には自信があるが、底なしの器で雄を欲するなまえちゃんに搾り取られ続けていると、限界が見え始めるのは体力ではなく精力である。何度か体位を切り替えて彼女の熱を慰める中、二人で枕に頭を預けて横向きに寝、彼女の背中を抱き込む後ろからの測位に落ち着いた。挿入しているだけでも性器が彼女の中の少しざらついた領域に触れるし、そもそもが動きにくい繋がり方なので激しいピストンを前提としていない。物足りないという欲しがりな恋人には、抱擁のために前にやっている手で胸やクリトリスを触れてやればかわいい声を出してくれる。
「んっ……。それ……ぜんぶいっしょ、されるの、すき」
「好き? 良かった」
「首も噛んで……?」
「ふふ、忙しいなぁ」
契約のための判にもならない牙を立てる。うなじにかかる襟足を退ける手間も惜しんだから、歯と肌の間で髪が摩擦した。なまえちゃんはこんなオレのフェロモンの助長にも抑制にもならない甘噛で小刻みに震え、達してしまう。
腕に抱いたその総身に絶頂の快楽が浸透していく間にも、肩を噛み、胸を弄っていると、振り向きざまの濡れた瞳がオレを射抜いた。「ん?」なんて我ながら甘えた声で首を傾げると、端から涎を垂らす口は呂律が回らず上手く願い事を伝えられない様子だったので、その視線にありありと浮かんだ期待を先読みして叶えてあげる事にした。
彼女の肩口から少し身を乗り出すようにして顔を寄せ、しっくりくるほどは重ねられない不便な体勢の中、その唇を奪う。意志は汲めていたらしく、唇の扉を自ら開けてくれた彼女はオレが挿し込んだ舌に吸い付いてきた。無理にキスをしているせいで隙間の多い唇は、唾液を交換するにも苦労する。泡立って溢れたものはそのほとんどが彼女の顎を流れて、肌の上で箒星のように尾を引いた。
キスに夢中になりながら、時折埋めたままのペニスを揺れ動かしたりしていると、遠くの方で解錠の音が響く。ゼロが帰ったのだろう。嗚呼、廊下拭いていないな――なんて寝室の扉を尻目に捉えていると、足音を引き連れて肉薄する人の気配が勢いよくそれを押し開く。
「やっぱり先にしてたか……。人に買い物頼んでおいて……まったく、妬けるよ」
オレは裸でなまえちゃんと抱き合ったまま顔を上げ、「ごめん」と笑う。
「はー、ゼロ来てくれて助かった。これで休憩できるな。オレ、多分もう出ない」
呆れ顔のゼロではあるがすでに張り詰めているものでズボンの股間を押し上げており、帰宅して早々に荷物を投げ捨てて服の釦に手をかけ始めている。
「フェロモンすごいな。鼻が曲がりそうだ」
色めいた声音で呟くゼロは、やはりそれに当てられているのだ。それがわからないオレは前戯を通して少しずつ自身を固めていくしかできないから、なまえちゃんに誘爆されるゼロに比べて遅れを取り、どうしても焦らすことになる。平常時に愛し合うだけならそれでもいいけれど、ヒート中のなまえちゃんは早く早くとせかすからとかく可哀想で、オメガに誘発されてすぐに性に前のめりになれるアルファの親友が少し羨ましいのだ。
この場には幼馴染三人が介しているというのに、この二人はオレとは生物としてほとんど別種の五感で会話するから少し妬ける。二人だけが異星人で、オレだけが地球人。オレからは見えない月の裏側の話を常識のように目の前で語られるような疎外感。
本当はもう一度くらいならば昇りつめられそうではあったのだが、彼女を連れ帰ってからもう3時間近く抱きっぱなしだ。オメガとアルファの間にだけ走る特別な火花で脳のスイッチを切り替えられたゼロに譲るべきだろうと考え、なまえちゃんの中から退くべく腰を引く……のだが。
「ひゃぁんっ、ぬか、ないでっ。やぁっ、行っちゃやだぁ……。ずっといてっ、もっとして……」
「なまえちゃん、ゼロ来てくれたよ?」
「やあぁ! 中空いちゃうのやなのっ」
「ちょっとも我慢できないって。かわいいね、目先のことしか見えてない。あー、泣かないで泣かないで」
発情に狂わされ、満たしてくれなければ死んでしまうとばかりに涙するなまえちゃんに、下着に手をかけていたゼロが息を呑むのが見て取れた。そりゃあ溜まらないだろう。オレだって一度もしていない状態でこんな台詞を吐かれた日にはおかしくなる。
「ほら、ゼロにおねだりしてごらん」
「ぜろくんはやくっ、はやくしてっ。なか、いっぱいとんとんして」
“ゼロ”という呼称がその口も伝染しているあたりふやけた脳は禄に思考を巡らせず、本能のままにねだっているらしい。
ゼロは帰ってから彼女には指一本触れていないというのに、欲情を仄めかして聳え立つそれを膜で包んでベッドによじ登ってきた。奮発して上質なものを購入したベッドもマットレスも軋み一つあげず、彼の体重を受け止める。
「おまたせ、なまえ。しようか。今日はどうする?」
「れーくんれーくん、はやく……っ」
「……って、聞いてる?」
と、呆れつつも可愛くて仕方がないといった面持ちのゼロ。聞いちゃいないだろう。したい体位を聞かれても、早く、とか、奥、とか、舌足らずにぐずるだけのなまえちゃんは、御託よりもとにかくすぐにでも抱かれたがっている。
三人でするとなるとそれなりに格好を考えなければならないのに、これではいつまでも体位が決まらないと思って、オレは横から口を挟んだ。
「オレも触ってて良い? 今日えっちばっかりで全然触れてないんだ……」
「じゃあ、なまえ、ヒロに跨って、僕にお尻向けてくれ」
仰向けに寝転んだオレの腹を跨いだなまえちゃんが、脾腹のすぐ横に両膝をつき、四つん這いになる。猫のように背中をしならせて尻を突き出し、重力に従う両胸をふるりと揺らす。胸に手を伸ばしてやわやわと揉みながら彼女の背中を抱き寄せて、胸の先端が自分の唇に触れるように導いた。
発情期中のオメガの性器は、前戯を省いても雄の怒張を悦べるようにより性行為に特化して変質し、雨に晒されたとしか思えないほどに濡れる。そしてアルファはオメガの発情に誘発されて自身も発情し、深く愛し合う過程を放棄しても勃起する。二つの性の性質は、貝殻の上下のようにぴたりと組み合わさるのだから、恨めしい。
オレだってなまえちゃんにとっての貝殻の片方に、輪切りにした果実の切り目になれたらよかったのに――なんて、オメガと化した事を忌避する彼女を相手には口が裂けても言えない無遠慮な願望だ。
「ヒロ、胸好きだよな」
「誰だって好きだろ?」
「まぁいいけど」
胸に執着するのは一般的な男心と、早くに両親と引き剥がされた運命が心の何処かで母性を求めさせているせいやもしれないが。
不必要だとわかっていても愛撫がしたいのは、人をもてなすのも好きな人を愛するのも喜ぶところを見るのも好きだから。本能を鎮めるためだけに及ぶヒート中のセックスは、どこか業務的で、実のところあまり好きではなかった。
なまえちゃんの乳首を舐めたり、指でくるくる捏ねたりしながら、彼女の顔が恍惚に揺れるのを特等席から仰ぐ。ゼロが腰を勧めると、少しだけ躰が前に押し出され、乳房が揺れる扇状的な様が、何度も精を出したはずの腰に響く。
「ん、ゆる……っ」
「いけそうか、ゼロ」
「まぁ……わからないけど、“当てられてる”分早く出そうだし、例え遅漏でもその方がこの子も楽しめて喜んでくれるんじゃないかっ、なっ。んっ……」
またオレが永久に知る由もない領域の話だ。犬猫のようにまぐわう二人を眺めて、沸き起こる興奮と遺伝子上疎外される切なさが綯い交ぜになる。
「あ……っ! あぁっ、ん。れーくんっ、奥、それ……、ぁ……っ」
「はっ……ふ……、ん、ここ、もっととんとんしような」
「ひぁ〜っ」
最初はなまえちゃんの躰を労るように腰を進めていたゼロも、男を求めて絡みつくぬかるみの虜にされたのか、尾骨と恥骨が触れるほど突き入れる頃には狼のように激しく腰を打ち付けるようになっていた。揺さぶりをかけられてかはたまた彼女自身の痙攣か、シーツの上に突かれた膝も腕もがくがくと震え、重力によって真下に吸い寄せられている乳房は千切れるのではと不安に駆られるほどに揺れる。
「あっ」
「ん、いいよ。おいで、なまえちゃん」
体勢を崩しかけたなまえちゃんは自力で踏み止まったが、いつまた限界が来るとも知れない。オレの方からこちらにおいでと腕を伸ばしてその上半身を抱きとめ、ついでに唇も触れ合わせる。オレの腹部を跨ぐ膝だけは相変わらず立てられたまま、尻はゼロの手に掴まれて上に突き上げられたままで、上肢だけオレの上にうつ伏せに寝転び、胎の鞘にピストンを受け入れていた。
彼女が跳ねたり震えたりする都度、汗に濡れた肌が擦れるのがあたたかくて気持ちよくて堪らない。ちゅ、ちゅ、と啄みのキスをしていた唇を彼女の首筋に這わせ、そこに歯を立てる。するとゼロもオレに触発されて真似たくなったのか、彼女の襟足を手で荒っぽく払った。
「ずるいな。僕にも噛ませてよ……」
「ん、ほら」
ぱさり、と手前に落ちてくる後ろ髪がオレの頬を刺す。
「ひっ……、痛ぁ……っ」
そんな声が上がった時、見上げた先でゼロの影がなまえちゃんの頭の後ろに重なっていた。きっとオレが見ている、反り返ってひくつくその喉の裏側では、親友の牙がそこに沈められているのだろう。噛まれて、それだけで腰を振ってしまう彼女の可愛らしくもあられもない姿と顔を真下から眺めながら、沸騰するような興奮を胸に飼う。
「んっ、あっ。噛んで……もっと噛んで……」
ふるふる揺れる胸に顔を寄せた時、なまえちゃんがそう言った。それからオレとゼロは、交互に、時に同時に、首筋やうなじを甘噛みし続けた。点々と歯の形に赤らむ傷跡をうっとりと舌でなぞり、更にその上からキスマークの印を重ねて、また噛んで。
零君と景光君と番になりたい、と彼女は時折夢物語を口にする。オメガに二人の人間を飼う事なんて出来やしない。ましてや生まれながらのオレはベータであり――なまえちゃんに至っては、番という特権を失っている。
これらは全て気休めなのだ。悪どい根本を断つ決定的な刃ではなくて、せめて今日をやり過ごすためだけのまやかしの鎮痛剤。彼女の体の奥に張り巡らされた根を削ぐ事なんてできないから、皮膚という土の上の雑草を気休めのセックスと甘噛で埋めて、除去しているだけ。
なまえちゃんの腰をより高く抱えたゼロが、とちゅ、とちゅ、と濡れた肌のぶつかる音を響かせ、律動の激しさに磨きをかける。それが奥深くを、適切な角度や強さで突いたのであろう瞬間、彼は肩を強張らせて息を詰めるので、絶頂したのだと悟れた。鼻と喉にしていた無意識の栓を外し、ゆっくりと息吹きながらゼロが腰を引く。すると離れ難いとばかりに彼を振り返ったなまえちゃんは、もはや合言葉さながらに言うのである。
もっとして――、と。
「当たり前だろ」
獰猛に眼光を尖らせたゼロが、舌舐めずりをしながら新しい避妊具の包を口で破いた。


それからゼロは何度コンドームを付け替えただろう。端から数える気もなかった癖に、在庫の減り具合を眺めながら思いを巡らせる。途中で一々捨てる事さえ億劫になり、ベッドの上には萎びた水風船のようなゴムが散乱していた。
途中で一度交代してもらい、ゼロの帰宅によって出し最後の損ねた精を吐いた以外、ずっとオレは彼女を背後から抱え込んで支え、二人が繋がるのを手伝っている。キスや愛撫をしたり、水を飲ませてやったり、無駄だろうけれど時偶躰も拭いてあげた。
間近で行われる親友と恋人の情交に若い脳はどよめいてはしまうが、流石に今日精子が作られる事はきっともうない。
「ゼロ、」
「んっ……はぁ……」
いよいよなまえちゃんの反応が乏しくなって。悪食のように腰を振るゼロに呼びかけたが、彼は聞く耳を持たない。
「おい、ゼロ。ゼロってば。いい加減やめてやれって。なまえちゃん意識飛んじゃってる」
強めに小麦色の肩を叩いた折、ようやっと「え?」と素っ頓狂な声を零し、顔をあげるゼロのなんと間の抜けた事か。彼女の顔を覗き込んで、本当だ、と呟いたゼロが、喧嘩をして傷を作って帰ってきた折を彷彿とさせる決まり悪そうな面持ちで彼女の中から引き上げていく。
なまえちゃんが気絶した事で、今日のところはこの底のない湖に溺れるような欲情の発露も幕引きとなった。
とにかく一枚着ようと床の上のシャツに手を伸ばすと、同じタイミングでそれを拾い上げたゼロと同時に掴む事になり、二人の間でぴんと貼る布に笑ってしまう。結局それはゼロの着ていたシャツだったので彼に譲り、オレは自分の服を探した。
使ったティッシュとコンドームを纏めて屑籠に入れ、シーツの皺をぴんと正したベッドの上に並んで座る。
「情けないなと思って」
ペットボトルのスポーツドリンクを回し飲みしていると、珍しく落ち込んだ様子のゼロがそんな意外な事を呟くので、オレは眼を丸くした。
「情けない?」
「なまえの発情期に当てられると、僕、犬みたいにセックスする事しか考えられなくなるだろ。今だってそうだ、お腹空いてるかもしれないとか、水分補給とか、そういうことに気が回らなかった。本当はヒロみたいに面倒見てやったりとかしたいんだけどな」
そういうものなのか。オレはオレで、ゼロみたいにただひたすらに彼女の欲求に答えてやれない、彼女を埋めるための性別ではない自分の第二性を歯痒く思ってしまうけれど。
「してる時は気にならない、というか考えつかないけど、後々になって考えると……反省点が出て来るんだ」
「真面目だね、ゼロは。普段は色々やってあげてるんだから、なまえちゃんも気にしないと思うけど」
「だとしても、ヒートは少し苦手かもしれない。ヒートのあの子を抱いているといつか抱き潰しそうで怖いんだ」
長年一緒にいると、例え性が分化しても、それでもなお思考が似通うのかと関心してしまう。なんでも細やかに鮮やかに熟して見せるというのに、やはりなまえちゃんの事となると角も羽もないただの人のような顔をするのだな、と思いつつ、ペットボトルを差し出した。
「オレはオレで……アルファのゼロが羨ましかったよ。フェロモンがどうとか、オレにはわからない話だからさ。ベータとするだけでもマシにはなるとは言うけど、一番はアルファとする事なんだろ? オレとじゃあんまり楽にはならないんだろうなって思うと、な」
「ヒロでもそんな事思うんだな」
そりゃあ思うよ――仲間はずれを出さないために三人で付き合うという常軌を逸する答えを導き出したのに、性別はオレを三人の輪の中から弾くのだから。
しかしながらゼロもオレと同じように他愛もない懊悩をするのだと知れたのは、大きな知見を得たも同義かも知れない。やっぱりどこかで似ていて、繋がっている。疎外感を癒やすのはいつだって誰かとの絆のぬくもりを傍に感じる瞬間だ。


2023/08/30
ここまで書いておいてあれですが、警察学校組は全員アルファだとも思うので、アルファみつもいつか書きたいです。コナン世界は推理力高い=アルファのイメージ。
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