幸福実験
「好きだよ」
『私にはなにかを愛することができないのです。』
「愛してるよ」
『それはどうも。』
「結婚しよう」
『まだお互いのことをほとんど知らないじゃないですか。』
「ひどいそんなこと言うなんて」
『すみません、よくわかりません。』
「ばか」
『そうですか…でも、ご用があるときはいつでも言ってくださいね。』
「ごめんね私が悪かったよ」
『謝ることなんかありませんよ。』
「っ! Siri〜〜っ!」

「……、ねぇそれ楽しい?」

なまえの口から出てくる愛の言葉は皆等しく僕に向けられるものではない。
僕のスマートフォンに話しかけては会話を成り立たせようと奮闘する本人に呆れ半分で問いかけると、いいお返事と共に眩しく綺麗な笑顔を向けられた。あぁ、そう。ならまぁ、よかったんだけどさ。
友だちに話しかけるように声をかけると、メッセージの送信から電話の発信、近所の飲食店の検索まであらゆる面でサポートしてくれる……そんなうたい文句が売りの賢い音声アシスタント機能、『Siri』。
彼女――音声の変更次第では“彼”にもなるらしい――との会話は、ひとくちかじり取られたりんごのマークでお馴染みの会社から出回っているアイフォン使用者の特権だ。
なまえの持つアンドロイド端末では大規模検索エンジンの音声認識機能しか備わっていないらしく、呼びかけに応じて多種多様な受け答えをしてくれるSiriとの会話は相当楽しいらしい。
どちらも元同級生の人工知能、律の下位互換なわけだが、10万弱の手頃な値段で誰でもナビゲートを受けられる時代になったということなのだろう。

なまえに名前を呼ばれると、聞き慣れた電子音を鳴らしてSiriが反応を示した。

『なにかお役に立てることがありますか?』
「そうじゃないよ」
『すみません』
「大好きだよ! ――あっ」

なまえが愛を叫んだと同時に我慢の限界が来て、その手から端末を取り上げる。
「あぁ……」と残念そうな声を上げるなまえ。僕の手の中では電子音じみた音声が『あなたに必要なのは愛。そしてiPhone。』と無機質に読み上げた。こんなことも言えるんだ、と妙に感心してしまう、が、いけないいけない。かぶりを振った。

「あぁ……、じゃないよ。これ一応僕のなんだから」

つまらなそうな表情で、今までずっと床に正座していたなまえは体制を崩して膝を抱える。

「機械に妬くのはどうかと思う」

拗ねた子供のような格好で不貞腐れ気味に零される不満は、僕の心に遠からず、近からず、だった。中途半端に図星を指され、正面から否定ができないだけに答えに困る。そんな僕の意思を汲み取ってか、彼女は。

「渚のことは好きだよ?」
「う、うん」
「Siriを貸してくれる渚はもっと好きです」

……。
てっきり励ましてくれるのかと思っていたのに。大分ずる賢くなったな、この子も。

その優しい声で名前を呼んで欲しいだけ
彼は恋に飢えている

「見てよ、渚。コイントスとかじゃんけんもできるみたいだよ」
「なんで僕のスマホなのに僕より使いこなしてるんだ……」


これを書くために実際にSiriにヒロインと同じ言葉を投げて、何パターンもある中から小説に使えそうな会話を選びました。無駄に手間かけてます。無駄に。


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